07月≪ 2007年08月 ≫09月

12345678910111213141516171819202122232425262728293031
--.--/--(--)

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【編集】 |  --:-- |  スポンサー広告  | Top↑
2007.08/29(Wed)

完全覇道マニュアル―はじめてのマキャベリズム 

完全覇道マニュアル―はじめてのマキャベリズム 完全覇道マニュアル―はじめてのマキャベリズム
架神 恭介、君主論 太郎 他 (2006/03/01)
シンコーミュージックエンタテイメント
この商品の詳細を見る


小学校の5年3組で起こる覇権争いをマキャベリズムに照らし合わせて解説したもの。クラス替え当初はバラバラの勢力が権謀術数を駆使するリーダー達によって一つに纏められていく。その過程をマキャベリズムで説明している。例えば夏休みの過ごし方。「名君は平治にこそ戦の準備をし、暗君は平和を貪る」夏休みを利用して学んだ生徒は、無為に時を過ごした生徒の勢力を破る。純粋に読み物として面白い。公式HPもあって、理解の一助となる。

どうしてマキャベリが目的のために手段を選ばずなのか?
マキャベリがなぜ君主論を書くに至ったのか?
それが分からずに、術だけ学ぶと非常に危ない学問になる。本書はまた一つマキャベリズムの誤解を増やすものである。

新訳 君主論 (中公文庫BIBLIO) 新訳 君主論 (中公文庫BIBLIO)
ニッコロ マキアヴェリ (2002/04)
中央公論新社

この商品の詳細を見る


90分でわかるマキアヴェリ

オススメ度: レベル4.5
FC2 Blog Ranking
スポンサーサイト

テーマ : 世界恒久平和を実現しよう - ジャンル : 政治・経済

【編集】 |  17:37 |  実用書  | TB(0)  | CM(0) | Top↑
2007.08/28(Tue)

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫) プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)
マックス ヴェーバー (1989/01)
岩波書店
この商品の詳細を見る


前に紹介した小室直樹の資本主義原論、民主主義原論、日本人のための憲法原論の底本ともいえる希代の名著。ただ、よく世に言われているように難解である。というのも、キリスト教史の知識がないと、飛び交う単語がちんぷんかんぷんだ。高野山、密教、最澄、曼荼羅、空海、華厳経、真言宗、禅、阿弥陀如来、延暦寺、と仏教にたとえるならばこのような単語がオンパレードである。

マニアックなところは読み飛ばすしかない。
それでも、資本主義とは何なのか? その歴史的発展を学ぶならば、これよりいい書物はあるまい。

では余が理解した範囲で、近代資本主義を限界まで簡単に説明してみよう。

資本とは、それを元手にして資産を増やす為の資産である。もっとわかりやすく言うと、金を増やすために用いられる金である。資本主義とは、個人が自由に金を動かして、個人の金を増やすことをよしとした社会である。だから、私有財産を禁止する共産主義社会は資本主義社会ではないのである。

資本主義も二種類に分けられる。近代資本主義と前期資本主義だ。同じ資本主義でも、この二つは全く別物。前期資本主義はそれこそ、いつの時代も世界各国に見られた。しかし、近代資本主義はまさにヨーロッパの一部とアメリカにしか生まれなかった。

前期資本主義が発展して近代資本主義になったのかと言えば違う。前期資本主義とは全く別の経緯で近代資本主義は生まれた。近代資本主義は金儲けを微塵も意図していなかった。それなのに、金儲け至上主義になってしまった。ここが肝。

近代資本主義の原型はカトリックの修道院である。修道院は俗世にまみれた教会の権威を維持するために、禁欲と純粋な祈りを真面目に行い、その高徳で以て人々を救おうと考えた。修道院で行われていたことは祈りと神のための労働である。来る日も来る日も、神のために祈り、神のために働く。その繰り返しが修道院的禁欲である。仏教のように断食をしたりすることではない。

そういった修道院的禁欲と勤勉を俗世に持ってきたのが宗教改革(16世紀)である。今まで修道院の中だけで行われていた禁欲と勤勉が一般大衆にまで広がった。これを世俗的禁欲という。彼らは一生懸命に働いた。すると、意図せざるして金が貯まる。金が貯まったから仕事をさぼるということもしない。貯まった金は公(神の意に適うような)の為に使い、またひたすら働く。なぜなら、金は勤労の証であり、神の御心にそくした証でもあるからだ。

では、全員参加の勤労は何を産んだか? 例えば資源が10あるとする。以前のような勤労に重きを置かない世界では10の資源中5とか6を消費していた。しかし、皆が勤労になり、10ある資源を10使ってしまった場合どうなるか? 合理化、計画的生産、そうやって、10の資源を他と争い奪い合うことになる。少しでも多く資源を活用しようとした結果、合理化、計画的生産の一環として産業革命、植民地支配、などが生まれた。

10の資源を使い切ろうとする社会が生まれたのである。これが近代資本主義だ。では、こういった社会的な枠組みが出来上がるとどうなるか? 想像してみて欲しい。10の資源のうち、5を使っていた社会では、残りの5は誰のものでもないのである。簡単にいうと、腹が減れば誰のものでもない山に入り、山菜やイノシシを狩って喰うことが出来た。しかし、10の資源のうち、10を使い切ろうと努力する社会ではそうはいかない。山は誰かの所有である。ただの山にしておくのは非効率的だ。牧場か畑にして生産力を上げよう。10の資源を使い切る社会では、腹が減ったからといって勝手に入れる山がないのだ(その代わりに福祉があるというが……)。ここに、神のためであろうとなかろうと、全力で働かないと儲けることが出来ない社会が完成した。これが近代資本主義の社会である。

しかし、最近はこの神のために働くという精神が失われてきた。多くの労働者にとって、労働とは神の御心にかなう喜びではなく、ウェーバーが言うように単なる「経済的強制」としか感じられないのではないか?

そう考えると、今世界中で起きている二極化は当然のように思えてくる。資本主義というシステムが牢固として完成した今、この資本主義という機関車から飛び降りるのは不可能となった。資本主義の精神に普遍性がなくなった今、こんな汽車から降りたい人間も、降りることは出来なくなった。黙って汽車が止まるのを待つしかなくなった。そして、やはり宗教的精神がなくなったが、利潤追求がシステム化されたこの社会で勝ち残ろうとする人間は相変わらず機関車の釜に石炭を放り込む。

利潤追求、労働が最低条件となってしまった社会に於いて、働くことが嫌いな人間はその正当性を失ってしまう。ただ、資本主義精神の残滓が非労働者に対して盲目的な倫理的批難を浴びせる。働かざる者にとって、この世は住みにくくなったと言えないだろうか? 昔は生命を繋ぐだけの山菜や肉を野山からとってくればいいだけだった。だが、現在、ものは確かに溢れ、交通の便は優れ、インフラも整っている。しかし、一人頭の労働時間は劇的に伸びた。嫌でも一生懸命働かなくては生きられない世の中になった。

余は今の先進国のこの状況は過渡期的な現象ではないかと見ている。則ち、二極化が完成した暁には、近代資本主義的な社会はもはや存続しない。汽車はそのスピードを落とすであろう。貧しい人間はとことんまで貧しいが、一日何時間も働かないですむ、そういった前期資本主義的な世界に戻ると思う。なぜなら、多くの人間から勤労意欲が失われれば、10の資源を使い切ることは出来なくなるからである。労働を極力忌避する労働者間には必然的なワーキングシェアが行われ、生産の計画性も、合理化も、そういった非勤労な労働者を前提とした形でしか組めなくなってゆくであろう。

そもそも、貧困を恥ずべきこととするのは、宗教的資本主義の精神である。貧困は神の為に労働をせぬ証なのだ。しかし、時代は変わった。人間の精神、考え方も変われば、神も死んだ。二極化が完成した場合、貧困は決して恥ずべきことではなくなる。なぜならば、周りの多くの人間が、平均的人間が貧困だからである。もっと言ってしまえば、貧困は貧困ではなくなるのである。現在の目からみれば貧困であろうが、その時になれば、貧困は人並みなのである。

そうなる世界が善い悪いとはつゆ言うつもりはない。人間の幸福感は相対的なものに過ぎぬと思っているからである。

以下の書を読むと、この書物も多少分かりやすくなる。お勧めである。

小室直樹の資本主義原論
悪の民主主義―民主主義原論
日本人のための憲法原論

オススメ度: レベル4
FC2 Blog Ranking

テーマ : オススメの本 - ジャンル : 本・雑誌

【編集】 |  11:16 |  思想 社会科学  | TB(2)  | CM(0) | Top↑
2007.08/27(Mon)

朝青龍、泣き言、「もう限界…」 

朝青龍帰国待ったに泣き言「もう限界…」
2007年8月26日(日)09:58

 謹慎中の横綱朝青龍(26=高砂)が、北の湖理事長の「帰国待った」にショックを受け、親しい知人に電話で泣き言をもらしていたことが25日、分かった。関係者によると、朝青龍は24日午後に知人に電話して「早く帰りたい。もう、我慢の限界。何とかしてほしい。いつになったら帰れるんだ」と話したという。

 当初、モンゴル帰国は25日の予定だった。だが、北の湖理事長が24日に「帰るにしてもモンゴルの受け入れ態勢を整える方が先」と話し、帰国容認も理事会決議が必要との方針を示した。これに朝青龍は大きな精神的なダメージを受けたようだ。22日から3日間連続で診察した協会医務委員会推薦の高木洲一郎医師は、朝青龍の症状を「解離性障害」と診断し「一切の自発的な行動をしようとしない」と話していたが、横綱は診断後に自発的に電話をかけていた。

 朝青龍に近い関係者によると高木医師は「私の病院が休診の日曜(26日)に理事会開催なら、その場で横綱の病状を説明できる。了承されれば27日に直行便で帰国できる」との考えを示したという。しかし、協会側は理事会招集28日、29日帰国という計画を崩していない。ある理事も「日曜日は皆予定が入っている。27日は番付発表だから、理事会は早くて28日になる」と話し、朝青龍の師匠高砂親方(元大関朝潮)も「私は理事会を要請できる立場にない」と話すにとどめた。

 朝青龍は報道陣を避けるために滞在ホテルを24日早朝に変更。すでに29日の成田発ウランバートル着直行便も予約した。イライラは募るばかりだが、朝青龍はその日を待つしかない。【柳田通斉】  日刊スポーツより

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

朝青龍が可哀想である。理事会もとっとと解雇してやって、モンゴルに帰してやるべきだ。朝青龍はもうモンゴルなら一生遊んで暮らせるだけの富を手に入れてるんだから、日本なんかからは一日も早く出ていき、モンゴルで悠々自適に暮らすべきである。朝青龍もとっとと、「横綱なんかやってられっかバカ野郎!」と辞めてしまえばいいんだ。

余は相撲界などには全く興味ないが、今回の朝青龍問題には少々辟易している。礼儀を重んじるのが相撲だとぉ? 礼儀を重んじて精神病になってこんだけ世間を騒がすのが礼儀なのか? 横綱も相撲界も礼儀どころの話じゃない。首相官邸ばりのていたらく。開いた口が塞がらない。

かりに朝青龍が復帰して、土俵に立ったとしても、複雑な心境で見るしかない。物理的には強いかもしれないが、精神的にイカリシンジな横綱なんて横綱ではない。朝青龍はもう充分頑張った。四の五の言わずにモンゴルへ帰してやるべきである。そして、もう相撲などに係わらすべきではない。

一番、一番!真剣勝負 一番、一番!真剣勝負
朝青龍 明徳 (2006/01)
日本放送出版協会
この商品の詳細を見る


FC2 Blog Ranking

テーマ : 大相撲 - ジャンル : スポーツ

【編集】 |  08:23 |  余の日記  | TB(0)  | CM(0) | Top↑
2007.08/25(Sat)

小室直樹の資本主義原論 

小室直樹の資本主義原論 小室直樹の資本主義原論
小室 直樹 (1997/02)
東洋経済新報社
この商品の詳細を見る


資本主義原論
我々は日本を資本主義の国だと思っている。民主主義原論と同じく、日本には資本主義がない、というのが本書の主張である。ではどこが資本主義ではないのか。そもそも、資本主義とはなんであるのか。

資本主義でもっとも大切なものは「所有」の観念である。しかし、日本やアジア諸国では、この所有の概念が資本主義的所有とは別物である。

資本主義的所有とは、所有の絶対である。所有者には所有物をいかようにも出来る絶対の権利がある。所有の概念は抽象的で、犯すべからざるものである。だが、日本的所有はこうではない。貞永式目の精神に則っているという。貞永式目第八条「所領を二十年以上継続して知行している場合は『理非を論ぜず』その知行権を認める」というものである。すなわち、所有の概念は抽象的ではない。実行支配、現実支配するものが「その理非を論ぜず」所有者であるという考え方。

小室博士は日本人の公共物、公費に対する考え方がまさにそうだという。これが記された頃はまだ明らかになっていなかったが、社会保険庁の使い込みなどは格好の例であろう。公費、保険料は誰の所有か? 収めた国民の所有である。では、収められた保険料を支配しているのは誰か? 社会保険庁職員である。支配しているのだから自分たちの所有だ、好きにしてよい。こういった考えが生まれる。他にも公費の使い込みの例などいくらでもある。大事にならなくても、会社の金だからと無駄遣いする人間は多いのではないか? 公共物=ただ。使わなきゃ損、こう考える人間は多いのではないか? 公物は無主物。今支配しているものが自由に処分して良い。多くの日本人がこう思っている。資本主義的所有の観念から大きく外れている。

利潤はどこから生まれてくるのかでも、資本主義と前期的資本とでは違う。前期的資本での利潤の出し方は非常に博打的だ。しかし、資本主義は博打ではない。経済活動によって余剰価値、則ち利潤を生み出す。マルクスはこの余剰価値を「搾取(exploitation)」と呼んだ。しかし、否定的な意味で用いられたわけではない。否定的な意味にしたのは後年のマルキストたちである。

資本主義で重視されるのは市場である。市場には法則がある。日本の資本主義が資本主義でない理由に市場の法則を官僚が強力に歪めているという事実がある。では、どうしてそのようになったのか? 博士は1940年体制が問題だという。戦前日本は今より遙かに市場に忠実で、その意味では今よりも資本主義に近かった。しかし、戦争が始まり、統制経済になった。飛行機が欲しいのに風呂釜ばっかり作られては困るからだ。そして、官僚が経済をいじくって市場の法則を曲げ始めた。それが1940年体制。その体制が今日まで続いているというのが博士の分析である。住専に対する公的資金投入などに顕れている。市場の役目は倒産と失業を繰り返し、資本主義的でないものを淘汰するのが本義。日本は全く資本主義になりきれていない。

他にも色々と宗教的な理由や何やらで、如何に日本が資本主義でないかを詳説している。

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神
民主主義原論 
日本人のための憲法原論

を合わせて読むと一層理解が深まる。

オススメ度: レベル3
FC2 Blog Ranking

テーマ : オススメの本 - ジャンル : 本・雑誌

【編集】 |  21:04 |  思想 社会科学  | TB(0)  | CM(0) | Top↑
2007.08/24(Fri)

悪の民主主義―民主主義原論 

悪の民主主義―民主主義原論 悪の民主主義―民主主義原論
小室 直樹 (1997/11)
青春出版社
この商品の詳細を見る


戦後日本に於いて行われてきた民主主義。しかし、我々が民主主義だと思っているものは本来の民主主義には似ても似つかぬものである。というのがこの本の主張だ。

なぜ、日本が民主主義でないかというと、民主主義の精神がまるで存在しないからである。民主主義とはもちろん、四年に一回選挙をやってりゃいいなんていうものではない。

では、民主主義の根本原理とはなんであろうか。それは、アメリカが手本になるという。国民の国家に対する帰属意識だ。自分たちの国である、と強く思うことだ。日本人は国家というと政府を連想するが、本当はそうではない。国家の要素とは主権、領土、国民、とされる。しかし、主権も領土も国民を一朝にして出来たものではない。ヨーロッパなどを見れば瞭然である。争いや革命を経て出来たものだ。日本人が想像するのは難しい。日本人にとって国家とは徳川家康がぽんと作り、維新の志士がぽんと作り、GHQがぽんと作ったものでしかないからだ。日本人は国家による迫害も受けていないし、民衆が政府を覆すこともしていない。最近右翼が台頭してきた。余はこれを、日本人が少しは国家を自分たちのものだと意識し始めたことの兆候とみた。国家が与えられるものではなく、作り行くものとするならば、民主主義とは金科玉条と頂くのではなく、一人一人が民主主義とは何か、と常に反省を加えていくべきものでなければならない。

そのために必要なものが教育だという。この時点で日本の民主主義はてんで駄目だろう。自らの国に参加する意識を育てること皆無にして、国の存在、民族の存在自信を否定するようなことばかりしている。特に重要なものは歴史教育だという。そして、歴史教育は自らの国を誇れるような教育にせねばならない。故に、歴史の恥部、悪いところは極力スルーして、良いところ、誇れるところを執拗に誇示すべきなのだ。日本人は、「そんなんじゃ歴史じゃない。正しい歴史を教えるべきだ」と思うかもしれないが、歴史教育と歴史研究は別物である、という理論でもって正当化される。教育が行うのは、歴史研究にあらず。歴史教育なのである。

もうひとつ、民主主義に欠かせないものがある。資本主義と近代法だ。民主主義、資本主義、近代法は三位一体であり、どれがかけても近代国家とはいわない。すなわち、日本は近代国家でもなければ、民主主義国家でもない。

資本主義が如何なるものかは 資本主義原論
近代法が如何なるものかは 日本人のための憲法原論
そして、プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神


オススメ度: レベル4
FC2 Blog Ranking

テーマ : **おすすめbook!!** - ジャンル : 本・雑誌

【編集】 |  10:54 |  思想 社会科学  | TB(0)  | CM(0) | Top↑
2007.08/21(Tue)

人気投票制が崩壊する要因 

地方財政をちょこちょこかじってみたら、赤字の自治体の多いこと多いこと。ばぁかなんじゃないのか? と思うくらい歳入と歳出が合っていない。地方自治体だけじゃない。国の借金(国債残高)も19年度末で547兆円だそうです。ちなみに地方も合わせると770兆円。ばぁかじゃねぇの? と誰もが言いたくなる。

どうして歳入の中だけで賄えなくなってしまったのか。住民のニーズが多様化、高質化したからだそうだ。ならば簡単。公共サービスを単純化、低質化すればいいだけの話じゃないか。

でも、そうは行かない。なぜか。選挙で「住民サービスを劣化させます!」なんていう奴は落ちてしまう。上手いこと町おこしが出来るか? そんなチャンスや確率は極めて低い。だから、みんな国民を煙に巻いたようなことを言って当選しようとする。
「財政は大変危険ですが公共サービスはより一層充実させます!」
そう言われた信じてしまうのが人情ってもんだ。でも、実際はあり得ないんだ。戦争でもして他の国を分捕ってくれば可能かもしれないが。「戦争で勝ちます!」という候補者もまず落ちるしなぁ。

というわけで、人気投票制をやっている限り、この国は決して良くはならない。

「否! 国民の一人一人が利口になれば真っ当な民主政治が可能である!」

って言う奴が時々いるけど、一体いつ国民は利口になるのよ?


http://www.mof.go.jp/zaisei/
国家的自虐HP
財務大臣になって予算を作ろう  というコーナーは是非やってみて欲しい。

FC2 Blog Ranking

テーマ : 経済 - ジャンル : 政治・経済

【編集】 |  22:39 |  余の日記  | TB(0)  | CM(1) | Top↑
2007.08/19(Sun)

小沢主義 志を持て、日本人 

小沢主義 志を持て、日本人 小沢主義 志を持て、日本人
小沢 一郎 (2006/09/01)
集英社
この商品の詳細を見る


小沢主義
この前の参院選で大躍進を遂げた民主党の党首、小沢一郎の書き下ろし。
政治哲学ももちろん含まれているが、どちらかというとエッセイだ。難しい議論もないしサクサク読める。

小沢も、その他多くの政治家、政治学者と同じく、日本の混迷を官僚主義の腐敗、民主制の形骸化にあると分析している。しかし、その先が政治学者と大物政治家の違いが出てくるところで、小沢は先に挙げた二つの問題を乗り切る策として、「強力なリーダーシップを持った人間が日本を導くべし」と結論している。

簡単に言うとこうだ。日本人の精神は聖徳太子の昔から「和を以て貴しとなす」である。これは確かに一理ある。閉鎖した島国で、豊かな自然に恵まれ、外敵の侵入も防げた。つまり、需要を上回る生産があり、生産を脅かす外的もいない、再配分を徹底することで回る社会なのである。そこで大事になってくるのは、上手く再配分をするための合意、則ち談合なのである。小沢の言葉を借りると「コンセンサス社会」の風土ということになる。需要が供給を上回れば必然的に奪い合いの社会になる。中国やヨーロッパのような奪い合いを基礎に置いた社会では意志の徹底、迅速さが要求される。つまり、強力なリーダーシップが要求されるという論である。

日本は戦後、米ソ冷戦の狭間で、アメリカという巨大なマーケットと中国という巨大な労働力に恵まれ、裕福になった。先の言葉を使えば、需要を上回る生産があった。国内には富が積まれ、如何に富を配分するかが問題にされていたのである。しかし、その時代は終わった。中国はもはや安価な労働力を提供しなくなり、アメリカという市場は低迷し、日本の富は日に日に薄れていく。

簡単に言うと、グローバル化の波に呑み込まれ、競争社会に晒される。つまりは、奪い合いの世界の中に日本も入っていかねばならなくなった。一国、島国のコンセンサス社会はなりたたない。そこで、小沢は強力なリーダーシップを持った政治家が現れて、日本の舵取りをゆだねなければ、今までのようにのろのろとやっていたのでは、日本は破滅する。そう警鐘をならす。

もちろん、こんなに露骨には書いていない。しかし、普通に読めばそうとれる。小沢が自らを指して強力なリーダーシップの持ち主だと言っているのかは分からない。

コンセンサス社会が成立して、うまく回るのは平和な一時と限られている。古代ギリシャの例を持ち出すまでもない。小沢も著書の中で言っているが、日本にだって常にコンセンサス社会であったわけではない。中大兄皇子、織田信長、明治維新、強力なリーダーシップを持った人間が未来を切り開いてきた。

余はここで一歩論を進めることを試みる。強力なリーダーシップとはなんぞ? 強力なリーダーシップは権力に他ならない。今の日本は非常に権力が分散している。抽象的な意味ではなく、現実的にも政治家、政府から正当性が失われ、民の信が得られなくなっている。はっきり言うと、今の民主制の正当性が失われているので、選挙というシステムを通じては正当性のある指導者が生まれる可能性は低い。小沢イズムは選挙の内側から指導者を得ると考えると、非常に矮小で眠たい思想だが、選挙の外側の指導者が権力を握ると考えれば、少しは胸が躍る。

「小沢一郎」入門―カリスマの原点 小沢一郎は何を考えているのか

オススメ度: レベル4
FC2 Blog Ranking

テーマ : **おすすめbook!!** - ジャンル : 本・雑誌

【編集】 |  10:44 |  思想 社会科学  | TB(0)  | CM(0) | Top↑
2007.08/15(Wed)

人はなぜ音楽を聴くのか―音楽の社会心理学 

人はなぜ音楽を聴くのか―音楽の社会心理学 人はなぜ音楽を聴くのか―音楽の社会心理学
デイヴィド・J. ハーグリーヴズ、 他 (2004/03)
東海大学出版会
この商品の詳細を見る

表紙を見ればわかるとおり、様々な人間が様々な視点から音楽と社会を論ずる、論文集のような形態が取られている。副題にあるように、音楽の社会心理学の概要を学ぶなら最高に適した書物ではないだろうか。深くはないが、そもそも、深く音楽心理学をする人間はどの程度いるのであろうか。普通の人ならば十二分に楽しめる内容である。

例えば、音楽家にはなぜ自己充足的なタイプの人間が多いのか=練習室に長く籠もることに堪えられる人間が音楽家になるから。

外向性の人間の方が内向性の人間よりもロックミュージックに対する好みが遙かに強い。

音楽は社会的アイデンティティーに係わる。同じ志向を持った仲間との一体化の保証を提供してくれる。

ヘビー・メタルの観客はオペラ激情の観客と年齢、社会的階級、ライフスタイルからいってもほとんど共通しない。

若者は音楽をバッチとして使う。

ヘビー・メタル好きの女性は男性から敬遠されるが、メタル好きの男性は女性から魅力的に映る。

 等々である。
 中でも、音楽が能の覚醒レベルを調節しているという説は面白かった。則ち、能が高度に覚醒している時はゆったりとした音楽で覚醒レベルを下げ、単調な仕事の繰り返しなどで、能の覚醒レベルが低下してきたら、激しい音楽で覚醒レベルを上げる。人間の脳は状況により相応しい覚醒レベルが要求されるから、それにともない音楽も要求されている、という説。

オススメ度: レベル4
FC2 Blog Ranking

音楽という謎

音楽入門 音楽鑑賞の立場

テーマ : 音楽のある生活 - ジャンル : 音楽

【編集】 |  18:03 |  思想 社会科学  | TB(2)  | CM(0) | Top↑
2007.08/11(Sat)

これでいいのか相撲…… 

相撲 2007年 08月号 [雑誌] 相撲 2007年 08月号 [雑誌]
(2007/07/26)
ベースボール・マガジン社
この商品の詳細を見る


相撲界が巫山戯きっている。横綱が仮病を使ってモンゴルに帰ってサッカーをしていたのまでは分かる。別に、目くじらを立てるほどでもない。それにともなって二場所出場停止、減俸も分かる。妥当な処分だ。だが、二場所出場停止と減俸のショックで精神疾患に陥って親方とも面会できない、っていうのはどうなんだ? 力士だぞ、横綱だぞ、強いんじゃないのか? 滅茶苦茶弱いというか、情けなさ過ぎるだろ…… それとも、相撲取りも政治家みたいに都合が悪くなると入院できるようになったのだろうか?

余は相撲に興味はない。うちの親は欠かさず見ている。親に「相撲も年寄り世代が見なくなったら終わりだね」というと、親は「私だって若い頃は興味なかったよ」と。余も年をとると相撲に興味が湧いてくるのであろうか? 余が年をとる頃には相撲なんぞなくなっていそうだが。

FC2 Blog Ranking

テーマ : スポーツ - ジャンル : ニュース

【編集】 |  00:21 |  余の日記  | TB(0)  | CM(0) | Top↑
2007.08/07(Tue)

90分でわかるマキアヴェリ 

90分でわかるマキアヴェリ (90分でわかる哲学者シリーズ) 90分でわかるマキアヴェリ (90分でわかる哲学者シリーズ)
ポール ストラザーン (2001/04)
青山出版社
この商品の詳細を見る


読んでいて負担にならない90分シリーズである。
その第八弾、マキアヴェリ。同じ90分シリーズでも、
サルトルやフーコーはその思想を概説しようとしていたのに対し、
マキアヴェリはほとんど伝記になっている。
なぜなら、彼の生き様事態が、彼の思想だからである。
ルネッサンスのフィレンツェは偉人を多く排出している。
ピコ・デラ・ミランドラ、レオナルド・ダヴィンチ。
マキアヴェリは彼らと直接交流し思想を深めている。
権謀術数うずまくルネサンスのフィレンツェ。
マキアヴェリズム入門としても最適な一冊である。

オススメ度: レベル4.5
FC2 Blog Ranking

90分でわかるデリダ

90分でわかるフーコー

テーマ : 哲学/倫理学 - ジャンル : 学問・文化・芸術

【編集】 |  20:14 |  哲学  | TB(0)  | CM(0) | Top↑
2007.08/02(Thu)

論座 2007年 06月号  

論座 2007年 06月号 [雑誌] 論座 2007年 06月号 [雑誌]
(2007/05/01)
朝日新聞社出版局
この商品の詳細を見る


「続・丸山真男をひっぱたきたい」が載っていた。前の記事を読んでもらえれば分かるが、
http://tamohito.blog89.fc2.com/blog-entry-153.html
32才のフリーターである赤木氏がフリーターという下層階級を脱出するには、戦争が起きて社会が流動的にならなければ駄目、という趣旨の文章を論座1月号に発表した。そうしたら、それに対する反論が色々あって、赤木氏はその反論に応答する形で今回の「続」を書いた。赤木氏のサイトに「丸山~」の全文が載ってる。
http://www7.vis.ne.jp/~t-job/

直接的なことではないのだが、二つ、非常に面白い「気付き」があった。一つ目は、平和という名の安定について。赤木氏は平和という安定を望む富めるものが、その安定を持続させるために下層に貧困を強いる、と書いている。「平和を望むのは裕福層が裕福でありつづけるための名目」というのが面白いではないか。しかし、余はこれをヒントにこう考えた。裕福層にとって平和とは富を維持するのに都合の良い安定であるが、だからといって下層に貧困を強いているわけではない。むしろ、下層を救おうとしている。なぜなら、下層を救うことによって、さらなる安定を手に入れられるからである。赤木氏のような人をいじめまくって、本当に暴動などが起こってしまっては困るのだ。だから、彼らは平和維持のために必至に貧困層を救おうとする。論座という雑誌自体がそのスタンスだ。そして、彼らは富の安定を維持するために、意図的に貧困層を救おうとしているのではなく、本当の善意でもって貧困層を救おうとしているのではないだろうか? なんたる皮肉! 彼らが善意で貧困を救おうとすればするほど、赤木氏の忌む不平等な安定は持続するのだからw

二つ目。弱者は永遠に弱者ということだ。弱者に大金をくれてやったところで、弱者が強者になれるわけがない。それは単なる、大金を持った弱者に過ぎぬと言うことだ。もしくは、金持ちの強者のような弱者だ。弱者強者とは本質の問題である。例えば、男がモロッコかどっかで性転換手術を受けて、どれだけ女に近づこうとも、男であることは変わらない。本質は男なのだ。故に、残念ながら、社会がどれだけ弱者のための政策を行い、弱者を豊にしても、弱者が弱者でなくなることはあり得ない。現実的にもあり得ない。

オススメ度: レベル4
FC2 Blog Ranking

テーマ : **おすすめbook!!** - ジャンル : 本・雑誌

【編集】 |  23:21 |  思想 社会科学  | TB(0)  | CM(0) | Top↑
 | BLOGTOP | 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。