タモヒトの読書日記
文部科学省認定(嘘) 書評・批評・読書感想文 あらゆる本を主観100%で5段階評価! ブログ内をレベル?で検索して下さい。(例:レベル5)
2011.06/27(Mon)
貝と羊の中国人
貝と羊の中国人 (新潮新書) (2006/06/16) 加藤 徹 商品詳細を見る |
余は中国が好きである。本書は中国の歴史から、中国人のものの考え方を論じた書である。十八史略や四書五経などの予備知識があると余計に楽しめる。なくてもそれなりに面白いだろう。
貝と羊とは、それぞれ中国文明を形成した民族的な象徴である。中国は殷と周が合わさったものだ、というのが本書の基本。東に住んでいた殷人は農耕民族である。農耕民族は地面から植物、虫など、生命が次々沸いてくることから、地域密着型の多神教になりやすい。日本人もしかりである。一方、大草原や砂漠を移動しながら暮らす遊牧民族は、空から大きな力が降ってくる、と感じ一神教になる。周人は唯一普遍の神である「天」を信じた。
殷人の暮らす東方の地は肥沃で豊であり、殷人は目に見える財貨を好んだ。金属貨幣がなかった当時は、子安貝が貨幣として使われていた。有形の物財、宝(寶)・貢・貨・買・資・贅、などに貝が含まれるのは殷人の気質を表す。
周人の祖先は北西の遊牧民族である。遊牧民族は羊と縁が深い。衣類から生贄まで羊である。貨幣や物財の少ない彼らは無形の善行を好む。それが天に通ずるものであると信じる。羊文化の彼らの価値観は、美・善・義・羨、などである。
この羊の文化をリファインしたのが殷人の孔子である、というところが、中国文化のキモなのかも知れない。二つの気質が中国人の中に同居している。しかし、これは我々日本人も同様である。農耕民である日本人は江戸時代の儒教の感化で羊の文化に洗脳された。中国人と日本人は似ている、というのも、本書の重要な論点である。
このほかにも、中国人が考える功と徳の違い、士大夫層の役割、孔子や孟子の言う聖人は政治家であり、西洋文化であるキリスト教とは考えを異にする、中国人の人権意識の低さは神話の時代にさかのぼる、などなど、雑学としても楽しめることが満載である。
オススメ度: レベル4.5
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《参考・関連図書》
漢文力 (中公文庫) (2007/08) 加藤 徹 商品詳細を見る |
本当は危ない『論語』 (NHK出版新書) (2011/02/08) 加藤 徹 商品詳細を見る |
怪の漢文力―中国古典の想像力 (中公文庫) (2010/10/23) 加藤 徹 商品詳細を見る |
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2011.06/22(Wed)
リア王
リア王 (岩波文庫) (2000/05/16) シェイクスピア 商品詳細を見る |
-ネタバレ注意-
シェイクスピアの最高傑作と言う人もいるが、正直、苦手だ。悲劇が苦手なのではなく、あまりにも話しが突拍子もない。リアがコーディーリアを勘当するあたりから変である。その姉たちの露骨な巧言令色に騙されるあたりや、やすやす国を乗っ取られる等々。しかも、サクッとコーディーリアは捕まりサクッと死ぬ。これは、もはやあらすじである。演劇がこういうものといってしまえばそれまでである。が、いくつかの台本を読んだことがあるが、はしょりすぎもいいところである。台詞回しが格好いいのがせめてもの救い。
オススメ度: レベル2
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《参考・関連図書》
リア王 (対訳・注解研究社シェイクスピア選集 (9)) (2005/03) シェイクスピア、大場 建治 他 商品詳細を見る |
リア王 【講談社英語文庫】 (2007/10/17) シェイクスピア、ステュウット アットキン 他 商品詳細を見る |
リア王 (新潮文庫) (1967/11) ウィリアム シェイクスピア 商品詳細を見る |
2011.06/13(Mon)
あの演説はなぜ人を動かしたのか
あの演説はなぜ人を動かしたのか (PHP新書) (2009/10/16) 川上 徹也 商品詳細を見る |
過去の大物政治家の名演説をとりあげ、どこがどのような理由で人々を動かしたのか、を分析する書。その分析はいい加減と言わざるを得ない。
まず、人を動かす演説にはストーリーの三要素があるという。そのストーリーとは、何か欠損のある主人公が、それを補うために立ち向かうゴール(理想)に向かい、主人公の理想を邪魔する敵対者を用意することだ、という。さらに、三本の矢というのを加えるといいらしい。①志のストーリー、②ブランド化のストーリー、③エピソードのストーリーである。
リンカーン、ケネディ、オバマ、小泉純一郎、田中角栄、などを例にひき、上記の要件に当てはめて分析するのだが、ちょっと強引な面が否めない。そもそも、良い演説というのはその場その場で変わる物である。いくら上記の要件が満たされていようとも場違いでは話にならない。逆もまたしかりである。余は演説を分析するならば、その演説がなされる前提条件を詳しく分析したほうが効果があると思う。
オススメ度: レベル2
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《参考・関連図書》
世界を動かした21の演説――あなたにとって「正しいこと」とは何か (2011/02/08) クリス アボット、Chris Abbott 他 商品詳細を見る |
選挙演説の言語学 (2010/06) 東 照二 商品詳細を見る |
後世に伝える言葉―新訳で読む世界の名演説45 (2006/03) 井上 一馬 商品詳細を見る |
2011.06/01(Wed)
大阪維新の会 君が代斉唱条例について思うこと
君が代斉唱で起立を命じた校長の職務命令を合憲とした最高裁判決、大阪維新の会の国旗の掲揚及び教職員による国歌の斉唱に関する条例、自民党の国旗損壊罪などなど、国旗や国歌に対する統治権力の関心が高まっている。だいたいどれも目的は「次代を担う子どもが伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛する意識の高揚に資する」としている。
http://www.pref.osaka.jp/gikai_giji/2305gian/230527.html
橋本知事はプリンセストヨトミのイベントで「大阪、独立しましょう、皆さん!」と言ったそうで、例え冗談でも臣民としての自覚があれば言えない。何に対する愛国心か?
ノリで口が滑っただけだと思うので追求はしないが。
数学で「足し算は教えるが、引き算はマイナス思考なので教えない」などという教員がいたら、服務規程違反で処分されるのもわかる。しかし、国歌を歌わないからといって処分されるというのは首を傾げる。はにゃ? って感じだ。ちなみに、赴任してきたばかりの先生は校歌を歌えない。
国歌を歌わせようとする条例に通常の服務規程とは異なるベクトル、つまり、愛国心を涵養させようという思惑が含まれているのは明らか。
余自身はしっかり君が代を歌うし、入場のさい、日の丸に一礼する。愛国心を涵養することはいいことだと思っている。しかし、それが強制であってはなんの意味もない。国歌斉唱と愛国心は全く関係がない。歌うだけなら初音ミクでも歌える。普通統治する人は、どうしたら人々が公徳心をもてる政治ができるのか苦心する。統治と圧政の違いを上記の連中は学んでない。
陛下は以前「強制でないことが望ましい」と聞こえさした。不敬ながらも大御心をご拝察いたせば、形だけの屈従や随従などお喜びにはならないはずである。そのような虚礼にはなんら意味はなく、積怨をつくるだけである。一体どれだけの教育者が、このお言葉に従い、強制でなく児童生徒の赤心を芽生えさす努力をしただろうか。どれだけの為政者がしただろうか。橋本や自民党がやろうとしていることは真逆である。
余がもっとも危惧する点は、子供達が義務であるから歌う、学校で教えられたから国旗に一礼する、のような習慣が身についてしまうことだ。これらは、自発的にそう思い、自発的に行動するからこそ崇高なのである。赤信号だから止まる、みたいに、決まっているから歌う、みたいな条件反射でやられてはかなわない。歌わない教師を見て、「なぜあの先生は国歌斉唱をせず、苦虫をかみつぶしたような顔をしているのだろう?」と生徒が考えることは有用ではないか。もし、すべての先生が歌わなかったらどうするか? それは素直に統治に失敗したことを認めた方がいい。
ヨーロッパを発展せしめ、近代資本主義を生み出したのはカルヴァンの予定説だ。偶像崇拝やお布施、つまり「形のある何か」をすれば救われるという直裁型思考を吹き飛ばし、人々の精神が恒常的に善を追求する、そんな状態においてしまった。国を愛する心も同様で、「形のある何か」をすればそれでいい、などということはあり得ない。常にどうしたらいいのか考え続ける姿勢こそ教えるべきことではないか。もちろん難しい。しかし、難しいからこそ価値がある。
《参考・関連図書》
http://www.pref.osaka.jp/gikai_giji/2305gian/230527.html
橋本知事はプリンセストヨトミのイベントで「大阪、独立しましょう、皆さん!」と言ったそうで、例え冗談でも臣民としての自覚があれば言えない。何に対する愛国心か?
ノリで口が滑っただけだと思うので追求はしないが。
数学で「足し算は教えるが、引き算はマイナス思考なので教えない」などという教員がいたら、服務規程違反で処分されるのもわかる。しかし、国歌を歌わないからといって処分されるというのは首を傾げる。はにゃ? って感じだ。ちなみに、赴任してきたばかりの先生は校歌を歌えない。
国歌を歌わせようとする条例に通常の服務規程とは異なるベクトル、つまり、愛国心を涵養させようという思惑が含まれているのは明らか。
余自身はしっかり君が代を歌うし、入場のさい、日の丸に一礼する。愛国心を涵養することはいいことだと思っている。しかし、それが強制であってはなんの意味もない。国歌斉唱と愛国心は全く関係がない。歌うだけなら初音ミクでも歌える。普通統治する人は、どうしたら人々が公徳心をもてる政治ができるのか苦心する。統治と圧政の違いを上記の連中は学んでない。
陛下は以前「強制でないことが望ましい」と聞こえさした。不敬ながらも大御心をご拝察いたせば、形だけの屈従や随従などお喜びにはならないはずである。そのような虚礼にはなんら意味はなく、積怨をつくるだけである。一体どれだけの教育者が、このお言葉に従い、強制でなく児童生徒の赤心を芽生えさす努力をしただろうか。どれだけの為政者がしただろうか。橋本や自民党がやろうとしていることは真逆である。
余がもっとも危惧する点は、子供達が義務であるから歌う、学校で教えられたから国旗に一礼する、のような習慣が身についてしまうことだ。これらは、自発的にそう思い、自発的に行動するからこそ崇高なのである。赤信号だから止まる、みたいに、決まっているから歌う、みたいな条件反射でやられてはかなわない。歌わない教師を見て、「なぜあの先生は国歌斉唱をせず、苦虫をかみつぶしたような顔をしているのだろう?」と生徒が考えることは有用ではないか。もし、すべての先生が歌わなかったらどうするか? それは素直に統治に失敗したことを認めた方がいい。
ヨーロッパを発展せしめ、近代資本主義を生み出したのはカルヴァンの予定説だ。偶像崇拝やお布施、つまり「形のある何か」をすれば救われるという直裁型思考を吹き飛ばし、人々の精神が恒常的に善を追求する、そんな状態においてしまった。国を愛する心も同様で、「形のある何か」をすればそれでいい、などということはあり得ない。常にどうしたらいいのか考え続ける姿勢こそ教えるべきことではないか。もちろん難しい。しかし、難しいからこそ価値がある。
《参考・関連図書》
プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫) (1989/01/17) マックス ヴェーバー 商品詳細を見る |
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