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2007.09/14(Fri)

良心をもたない人たち―25人に1人という恐怖 

良心をもたない人たち―25人に1人という恐怖 良心をもたない人たち―25人に1人という恐怖
マーサ スタウト (2006/01)
草思社
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この世には良心を全く持っていない人間がいる。そういった人間達は、一切の良心の呵責なしに、人を騙し、傷つけたり、時には殺す。良心を持たぬ人間たちをサイコパス(精神病質者)、ソシオパス(社会病質者)と呼ぶ。厳密に言うと病気ではないので、現在では「反社会的人格障害」という呼び名が使われている。が、この本では一貫してサイコパスという名称で呼ばれることになる。

現代のアメリカでは約4%、25人に一人がサイコパスだという。サイコパスの特徴として、刺激を求める、共感性が薄い、愛情に対する脳の働きが鈍い、などの実例をあげ、サイコパスが社会にもたらした被害を存分に例証する。

そして、最後はこう結論づけるのである。
「良心を持たない人間は『いる』のである。我々がこの良心を持たぬ人間の餌食にならぬ為には、自分の生活範囲からサイコパスを徹底排除するしかない。また、社会も一丸となり、サイコパスを排除すべきである」


余はこの結論というか、この書物の趣旨全般に疑念を覚えた。「良心を持たない人間はいるのであろうか?」こういった質問、設問は、常に人間が良心を持っていると言うことを前提として投げかけられているではないか。だから、余は設問を変えてみる。

この世に良心を持つ人間は存在するのであろうか?

すると、次の質問に進める。すなわち、「良心とは一体何か?」
この本の著者も「良心とは何か」を最後の章で進化心理学まで持ち出して解明しようとしているが、結局は自分の信じる「良心」なるものを、学問の袈裟を着せて体裁づける虚しい努力に終わっている。つまり、終始全く学問的ではないのである。著者はサイコパスが好む快感や勝利感を原始的な感情と切って捨てる。そして「愛情」を高次の感情と定義する。愛情なんか猿もイルカも持っている。なぜ快感や勝利感だけ原始的でなくてはいけないのだ? 腑に落ちない。

著者はルークというサイコパスの例を取り上げて説明する。ルークは何にもましてプールが好きだった。日がな一日プールサイドでのんびりし、気が向いたらプールで泳ぐ。ぼろアパートに住んでいたのも、プールが付いていればこそだった。そんな彼が、ある素敵なプール付きの家を持った女性と知り合い結婚する。女性も最初のうちはルークの外見等を気に入っていたので満足して子供まで産んだが、次第にルークが自分ではなく、プールを愛していることに気付いて離婚する。すると、ルークはプールを失いたくないから、急に家族に献身的になる。

さて、ルークの行動はサイコパス、良心を持たぬ人間として非難されるべきであろうか? プール目当てに結婚したから、彼は非難されるべきなのであろうか? ならば、彼は何を目当てに結婚すれば非難されずに済んだのであろう? 彼女の容姿か? それとも、精神か? 精神ほど分からぬものはない。彼女もルークの精神を見抜けずに結婚したのだから。ルークが彼女の精神に惹かれて結婚したとしても、自分の勘違い、見込み違いだということは大いにあり得るのではないだろうか。それに、経済的理由で結婚する人間などは掃いて捨てるほどいるだろう。経済的理由で結婚する分には非難に当たらぬが、プール目当てに結婚すると非難に当たるのであろうか? 滅法な話である。

著者はこのルークの行動を全面的に非難する。著者がこの世の価値を「人を愛し、人に愛されること」だと宗教的な純粋さで信じ切っているからである。人よりもプールを愛している人間に思いが至らない。

さらに、著者の間違いは、良心が人間の器官として存在すると思いこんでいるところにある。良心を心臓とか手足とか、そういった形で存在するものであると思いこんでいる。だがそれは違うのだ。確かに、能の一部に良心を司る器官、機能は存在するかもしれない。余が言いたい問題はそんなことではないのだ。以下に述べる。

良心を持たぬ人間といえども、大きく分けると二種類になる。一つは、ある身体的欠陥により、喜怒哀楽といった感情が充分に機能しないもの。もう一つは、社会で生き抜くため、あるいは自分の理想とする地位なり金銭なりプールなりを目指す故に、感情をコントロール出来るもの。著者も言っているではないか。「ためらいなく人を殺せるのは良く訓練された兵士とサイコパスだけだ」と。まさしくその通りで、良く訓練された人間は栄達栄誉のために原始的なストッパーである感情を故意に外すことが出来るのだ。さらに、理性的に良心の使い分けが出来るのである。余は良心などまるで持たぬ人間が、自分の老い先の短さに悶えているのを見たことがある。

ある障害者が言っていた。「足がないということは不幸なことでも何でもない。ただそれだけのこと」
良心についても、全く同じように言うことが出来る。
「良心がないということは不幸なことでも何でもない。ただそれだけのこと」
さらに、次の点で著者も認めているのが面白い。「ウォール街や学界、政界に於いては良心などが機能しない方が仕事の妨げにならない」そして、過去の偉大な指導者達を例にとり、良心を持たぬサイコパスだと断罪するのである。
逆に、マザーテレサ等の良心をふんだんに備えていそうな人物を賞賛する。しかし、こんなものは余に言わせれば、ルークがプールを愛したように、マザーテレサはただ人を愛しただけに過ぎない。

仮に良心があるとして、我々が真に迷惑だと思う人間とはどういうものか思いを巡らせてもらいたい。それは、良心のカケラも持たぬが、理性と学問により、他人や栄誉に対し合理的に振る舞える人間か。はたまた、存分に良心を備えているが、頭が悪い故に物事の一面しか見えず吹き上がってしまう人間か。前者は非常にその判断が迷うところである。後者は紙面を賑わす平和団体などによく見受けられるが。

では、良心とは何なのか? 結論を言うと、良心とは非道く相対的なものである、となるだろう。つまり、ゴキブリは人間が良心を持っていると思えるであろうか? あれだけ執拗に追い回されて虐殺されても? 家畜の豚は「人間とは愛の生き物である」と思っているであろうか? ユダヤ人から見たドイツ人は? パレスチナ難民から見たユダヤ人は? 良心を持った人間と言えるであろうか?

そこで、編み出されたのが近代法なのである。近代法の理念を一言であらわせば、「行いのみを法に照らし合わして裁き、内面を一切裁かず」ということに行き着く。つまり、個人がどんなに凶悪とされる考えを持っていても構わないのである。ただ、法に反した事のみを裁く。これが近代法だ。そして、近代法の正当性は民主的に選ばれた議会が立法することで得られているのである。

だから、著者も指摘しているように、サイコパスはアメリカで最も多い。それは近代法の概念が徹底しているからである。逆に、近代法が不徹底で、慣習によって裁かれるアジアなどではサイコパス率は低いのだ。近代法が比較的浸透しているアメリカでは内面が裁かれることはまずない。内面を隠す必要はあまりない。引き替え、アジアでは村落的連帯が残存し内面が社会的立場に強い影響を及ぼす。ただ、慣習による抑圧は昔の日本のように言語や文化が統一されていて、ご近所に顔が知れ渡っているような社会でなければ難しい。多民族国家では近代法の方がよほど間違いが少ないであろう。民族によっても良心の基準は曖昧だからである。

良心は万能でもなければ、絶対的存在でもない。ユダヤ人を虐殺したドイツ国民を全てサイコパスと呼ぶつもりか? 良心なるものは時として人を傷つけることが多分にあるのを知った方がいい。この本は下らなく、前進的な学びの価値は皆無である。しかし、良心を持っていると思いこんでいる人間が、ある人達を良心を持たぬ人間(サイコパス)とレッテルを貼り迫害しようとする危険な思想を味わうならばレベル5だ。

最後に、精神病質、社会病質、反社会的人格障害、などと呼ばれているが、どれも不適切であり、差別や偏見を助長するものでしかない。余は決して感情を第一の人間の資質とは考えない。その点において、感情に左右されにくいサイコパスを奨励したくもおもう。学問のすゝめならぬ、サイコパスのすゝめなるものを記そうかとも考えている。あまりに直情的な行動は醜いからである。せめて、自分が感じた感情が何に起因するのか? 起因すると思う感情の根源とはなにか? 根源の根拠は? 根拠の……。と無限退行するわけであるが、自分感情を鵜呑みにするのではなく、多角的に検証してもらいたい。結局、最後は鶏が先か卵が先かの問題になるが。

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テーマ : ブックレビュー - ジャンル : 本・雑誌

【編集】 |  00:26 |  思想 人文科学  | TB(0)  | CM(10) | Top↑
●yesとno
私はこの本を読んでいないし、このブログも、過去の記事も
深読みしていない立場で発言させてもらうけども、
「yes」と「no」以外の言語を持つ、一アジア人として
サイコパスと呼ばれる人達と「上手に生活していく方法」を見当していった方が
病んでる人が多い現状、有効ではないかと思う。
戦後生まれのの平和主義だからだろうか。

タモヒトさんの言われる事はイチイチ真っ当でよく理解できます。
意思を、きちんと文字にできる方は素晴らしいですね。
私も精進したいと思います。

・・この本の筆者はアメリカの人なんでしょうか。
なんか、全く想像通りのアメリカンでがっかりする。
イヅッコ | 2007.09.16(日) 01:54 | URL | コメント編集
コメントありがとうございます。
著者の略歴は、米の病院で研修し、米大で教えていて、マサチューセッツ在住となってます。アメリカ人でしょう。

誰が自分を騙すかなんか、疑ったらきりがないですからね。
良心の有る無しの断定は危険です。
絵に描いたような、アメリカンです。
アマゾンなんかじゃ結構いい評価だったので、
期待して読んだだけにがっかりです。
タモヒト | 2007.09.18(火) 00:54 | URL | コメント編集
●よく解らないですが
なぜか私は、性善説を支持するというか、人間必ず良心があって、何か悪いことをした人は、魔がさしたからではないかと思ったりします。

話してみれば、本当は皆いい人だと信じたい、みたいな・・・。
極悪人と呼ばれる人も、何かそうなってしまった理由があって、やむなくなってしまったのではないか、とか(精神を病んでしまった、恨みを持ったから、生い立ちのせい等々)。

そもそも良心とは何かということになりますが・・・。

持たない、という人がいるのかという驚きの思いを持ち、ブログの記事タイトルを見て読ませていただきました。
私の頭では難しかったのですが、コメント書いてみました。
cyongmi | 2007.09.20(木) 17:53 | URL | コメント編集
コメントありがとうございます。
記事の中にも書きましたが、自分は、良心とは相対的なものなのかな、
と思っているので、有る無しを証明するのは不可能に近いです。

ただ、日常的に良心を全く持たない人間がいるかといえば、cyongmiさんと同じくいないと思います。限りなく0に近く、一見良心が全くなさそうな極悪人はニュース等で見ますが。

生まれながらの悪人はいませんからね。他人が裁けるのは行動だけです。心は裁けません。
タモヒト | 2007.09.21(金) 03:16 | URL | コメント編集
こんいちは。ギター中年なので、「ギターの話し」記事から、僕もこのタイトルが気になり。拝見させていただきました。
「、自分が感じた感情が何に起因するのか? 起因すると思う感情の根源とはなにか? 根源の根拠は? 根拠の……。と無限退行するわけであるが、自分感情を鵜呑みにするのではなく、多角的に検証してもらいたい。」
自分と対峙し対話する事はとても大切だと僕も思います。
そして最後に結ばれた
「結局、最後は鶏が先か卵が先かの問題になるが。 」

行きつくところ・・・この問題で悩むことが多いですね。

結局自分が出した答えと同じ多数の集まりで正当化されてしまうのかもしれませんね。

もし・・論点がずれていたら申しわかりません。
MUSIC-MAN | 2007.10.05(金) 07:57 | URL | コメント編集
ギターのコメントも書いていただきありがとうございます。

難しい問題なんですよね。
多数の集まりっていうのがまた不透明でなんだか良くわからんものなのです。こういう不透明を二重の偶発性というそうです。

例えば、明日の天気が相手なら、自分の行動にかかわらず、偶発的に天気は決まります。でも、他人とか、人間の集団が相手だと、こちらの偶発的な行動が、相手の行動を引き起こし、その相手の行動によってこっちの行動が決まり、また相手に影響する。

行動には様々な選択があるので、一つの偶発が永遠に尾を引くことになるんです。
タモヒト | 2007.10.05(金) 17:08 | URL | コメント編集
あなたは、おそらくサイコパスというものに出会ったことがないのでしょうね・・・

サイコパスというものが、近年、盛んに研究されるようになった理由をご存知ですか?

まず、精神科を訪れる患者の周りには、高い確率で「サイコパス」と思われる人間がいるという事実が、だんだんと明るみになってきています。

つまり精神病とは自然に発生するというより、サイコパスによって精神的攻撃を受け続け、苦しめられた結果、精神を病み、苦しんでいる場合が多いのです。

精神病患者を治癒するには、本人の治療よりも、まず周囲にある病原体「サイコパス」を、研究、分析する必要があるということがわかったわけです。

サイコパスの最大の害悪は、「他人を壊すこと」です。
普通の人には不可解な、サイコパスの引き起こすさまざまな出来事を分析した結果、それは「良心の欠如」によって引き起こされる、ということがわかった、それだけのことです。
性善説とか性悪説とかの論議は、あなたのように、サイコパスによって攻撃され、人生を壊される危険のないところで、いくらでも展開すればいいことでしょう。

今、まさにサイコパスによって攻撃を受けている人には、こういう本によって、自分の直面している危険の正体を分析し、正しく対処することが必要なのです。
 | 2010.10.13(水) 18:28 | URL | コメント編集
●Re: タイトルなし
貴重なご意見ありがとうございます。
他人の人生を破壊するのは、なにもサイコパスに限ったことでありません。
近代法云々のくだりで、わたしはそのことを述べたつもりです。

タモヒト(田目仁元 たもくひともと) | 2011.01.01(土) 18:15 | URL | コメント編集
●良心について感じること
良心、愛情とは生物が生き残る為に会得した機能と思います。
闘争心とかももちろん生き残る為に必要ですが、社会的存在(猿もイルカもグループでしますよね)である人間が種として生き残る為には、相手を落としいれ自分のことのみ考えその事について、何のためらいを持たぬ人が沢山いると社会が成り立ちません。特に現代のような核兵器、原発等を持つ人類には不可欠です。良心が無いと滅亡します。
ひろこ | 2011.05.22(日) 06:57 | URL | コメント編集
●Re: 良心について感じること
コメントありがとうございます。僕もそう思います。マットリドレーの「徳の起源―他人をおもいやる遺伝子 」なんかもそう言った考えでオススメです。このブログでも紹介してます。ただ、最近は遺伝子や進化心理学的な束縛を超越した人間の生き方がないだろうか模索してます。
タモヒト(田目仁元 たもくひともと) | 2011.05.24(火) 08:32 | URL | コメント編集

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