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2008.01/27(Sun)

新しい階級社会 新しい階級闘争 [格差]ですまされない現実 

新しい階級社会  新しい階級闘争    [格差]ですまされない現実 新しい階級社会 新しい階級闘争 [格差]ですまされない現実
橋本 健二 (2007/10/24)
光文社
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表紙の六本木ヒルズが内容を雄弁に語っている。著者の格差社会に対する憤りが溢れる良書。著者は格差社会とは言わない。階級社会という。それも、新しい階級社会だ。格差社会などは小泉ではないが、それこそ、いつの時代、いつの世にも存在する。階級社会も以前存在していて、マルクスが激しく批判した。では、著者の言う「新しい」とは一体何が新しいのか。マルクスは労働階級と資本階級がぶつかり合うことによって、社会は発展し、歴史は進歩すると考えた。しかし、新しい階級社会では、労働階級と資本階級が摩擦を起こして社会を発展させることはない。歴史の終わりともちょっと違う奇妙な形態が日本を襲っている。著者は言う。
「現在日本に始まりつつある新しい階級闘争は、言い訳、ぼやき、八つ当たり、行き場のない不満や怒り、残忍な犯罪である。これらの階級闘争は社会を変革したり進歩させたりするよりは、むしろ、人々の間に不信を生み出し、社会全体を疲弊させる」

なぜ、かくのごとき新しい階級社会になってしまったのか。それは、もはや、資本階級、労働階級などと、単純に分けられなくなったところに問題があると著者はいう。新中間層が、労働者を搾取する構造が出来上がった。例えば、同じ工場で同じことをやっていても、正社員と派遣では給料が三倍違ったりする。こんな搾取が容認されていては決して良い社会とは言えない。正当な再分配が行われなければ、いずれ社会は滅ぶ。

以下は本書を読んで、余が感じたことであり、著者が直接述べているわけではない。

では、正当な再分配とはなんなのか? 余は今現在の再分配は、それなりに妥当であると考える。なんとなれば、階級闘争が起きていないからである。真に妥当でない搾取が行われているのであれば、いくら淑やかな日本人とはいえ、暴動の一つや二つは起こすだろう。

余は思う。暴動が起これば、良い方である、と。恐るべきは暴動が起きぬ日本になるときである。つまり、暴動は労働者が搾取を理不尽と感じたときに起きる。が、日本全体が平均して貧しくなった場合、生活できない危機に見舞われても、打倒すべき資本階級が見あたらない。ここに残された道は、滅亡が外征である。

もう一つ、暴動を起こさぬ理由が考えられる。徹底した自己絶対化である。個人主義の行き着く先ではないだろうか。運命に対して自己責任をとる。どれだけ貧しくとも、自己責任。勉強して善行に励み他人に尽くし全力で働いても、派遣会社にピンハネされ、国保を払えず、医者に行けず、病弱し、死のうとも、自己責任。神、社会、国家、いずれのせいでもなく、全ては自己責任。一切の因果応報を超越して自己責任。西欧プロテスタンティズム的の神という機関を経ずして、内面に作用する新しい規律が自己責任なのだろうか。

この自己責任は社会の衰退を招くであろう。因果応報も神の存在も超越するのであるから、死のうが生きようが自己責任。善悪の相対的価値観はなく、自分が悪いと思えば悪い、良いと思えば良い、という、社会を基軸としない思考が罷り通る。そこでは、格差も階級も存在するが暴動は起きない。「自己責任がなんでもありならば、暴動もありではないか?」と諸賢は思われるかも知れない。だが、自己責任はあくまで、全ての責任が自分に依拠するのであるから、搾取する資本階級に対し、その責任を追及し暴動に至るとは考えにくい。ましてや、連帯して行うなど可能性は極めて低い。本書でも出てくるように、残忍な犯罪か、せいぜい池田小学校事件が関の山ではなかろうか。

我々は責任を自分でとるべきか。中国人は必ず他に責任を転嫁する。我々はその姿勢しばし批難する。責任を転嫁するという表現は果たして正しいか? この複雑に絡み合った因果を解いて責任の所在を明らかにすることなど可能なのか? 例えば、寝坊して会社に遅刻するとする。誰の責任だ? 自分のか? 否、夜遅くまで付き合わせた友人の責任か? しっかり起きられる目覚まし時計を開発しない時計会社の責任か? それとも、就業が9時だなどとする社会慣習の責任か? 諸賢はこれらを屁理屈だと考えるだろう。しかし、逆の屁理屈を真に受けて責任を自己で負ってしまっていることがないと言い切れるや? 余は国の失策による不幸まで責任をとるつもりはない。日本に生まれた責任も自己にあるのか? 日本だからまだ良いようなもの、北朝鮮に生まれた責任まで朝鮮人は自分で負わねばならぬのか? 責任の妥当性を見誤ってはならない。就中、乱世に於いては、外へ責任を求めていくべきである。

さて、何を望む? 高い道義心か? それとも国の発展か? 国の発展を考えた場合、上記似ような自己責任は間違いなく国を滅ぼす。さてさて、では、不幸、不満、の責任をどこへ求めるべきや? 日本国か? アメリカか? 中国か? 自国へ責任を求めた場合、内政になる。外へ求めた場合は外交、外征となる。難しいところだ。

オススメ度: レベル4
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テーマ : これでいいのか日本 - ジャンル : 政治・経済

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