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2008.03/30(Sun)

暴力の考古学―未開社会における戦争 

暴力の考古学―未開社会における戦争暴力の考古学―未開社会における戦争
(2003/08)
ピエール クラストル

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全く題名の通りの論文である。半分が論文、半分がその論文の解説という構成。

非常に読みにくい本である。未開社会に対するある程度のリテラシーと、構造主義的な社会観の概念がないと意味不明になる。

未開人がどのような理由に基づいて戦争をするのか、という命題を扱う。

これまで、未開人の戦争は狩猟の延長のように言われてきた。経済的な理由からの戦争も、狩猟の延長と同意義であろう。だが、クラストルは違うという。

「戦争が人間を目指した狩猟であるというなら、狩猟は野牛を目指した戦争でなければならない。あり得ないことだ」

未開人の戦争は物質的と言うよりも、精神的なものであると彼は言う。未開社会は、個々人が全て平等であることが前提とされている。つまり、分化しない社会である。分化しないとは、統治者と、被統治者に別れてはいけないという意味である。そして、他の共同体に依存しない社会であることである。

極言してしまうと、未開社会に於いて、戦争で勝利して支配するという発想はない。戦争はあくまで共同体のアイデンティティーを維持することにこそ主眼が置かれる。内をまとめるために、敵を作る、とでも言えばいいか。

我が国にも、アイヌ民族の哲学として、「求めぬことこそ幸福なれ」という言葉があるが、未開社会の幸福も、富むと言うよりは、持続する現在を重視しているともいえる。だから、未開社会の首長は命令しない、命令しないためにそこにいる、絶えず、過去を参照する存在である。首長はリーダーシップとは無縁の存在でなければならない。また、権威としてのゲバルトを持たないことも、権力を行使しない要因の一つといえる。

未開社会は統合化を恐れる。一人一人が平等であることを大切にする。しかし、考えてみれば、これは自然なことのように思う。好き好んで支配されたがる人間はいないだろう。そうすれば、自ずと、平等であるべき社会を形成せざるを得ない。今の先進国のように、溢れる物質の豊かさで統治を韜晦するのでなければ、未開社会の状態こそ、人間らしいといえる。


オススメ度: レベル3
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参考図書
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