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2008.12/10(Wed)

暴走する資本主義 

暴走する資本主義暴走する資本主義
(2008/06/13)
ロバート ライシュ

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売れているらしい。世界中の民主主義が揺らいできた証左である。もっとも、本書はそれほどアグレッシブなものではない。本書の命題は資本主義と民主主義を対比させて、その両立の難しさ、結局、資本主義に民主主義は呑み込まれてしまうのか否か、などを論じる。

60年から80年代のアメリカを疑似黄金時代として、企業と政治、民衆の三者がそれなりに反映を謳歌できた時代だと説く。企業の数は少なく、企業の利益が国家の利益になった時代であった。人々はそれほど株価に感心を抱かなかった。また、企業は談合なんか当たり前、価格のつり上げも胸一つ。様々な産業は規制だらけで、新規参入など出来ない。ほとんど政府指導で、がんじがらめにしながらも、邪悪な社会主義の匂いがするから、という理由で、誰も「計画」という言葉を使わなかった。実態は社会主義経済だった。

70年代から社会主義経済が壊れ始めた。規制緩和が行われ始めた。消費者と投資家が力を持ち始めたのだ。なぜ、それ以前ではなく、70年代なのかというと、技術革新に依るという。つまり、ダウンサイジング化である。技術の発達は冷戦に依るものである。トヨタ、日産、ホンダの参入により、もはや、ビッグスリーは自由に価格を決めている余裕はなくなった。投資家は、利益の出ない企業を見放すようになった。

面白かったのはコンテナの開発の話である。アメリカは当時ベトナム戦争で、大量の物資をベトナムに輸送しなければならなかった。従来の木箱では埒があかない。そこで、巨大な鋼鉄の箱と港を造った。コンテナはアメリカからベトナムに行ったが、ベトナムから帰るとき、空箱で帰るよりも、日本に立ち寄り、テレビや時計、台所用品を満載して帰る方が儲かることが判明した。まさに、グローバル経済の始まりであり、もっとも初期にグローバル経済の恩恵を受けたのは日本なのである。

製品が小型、軽量になれば、輸送コストはさらに下がる。しまいには、自国でものを造るよりも、人件費の安い海外で造った方が儲かるようになってしまった。ここにも技術革新が、一国の経済事情を左右してしまう力があることが分かる。

ベルシステム解体、航空規制緩和の話も日本に通じるところがある。日本ならば、JRなどが良い例で、鉄道を完全民営化した場合、競争が働くのはいいが、人があまり利用しない過疎地帯の路線は廃止されたり、大幅に減少させられたりする。儲かっているところは、利益を不採算部門に回すことはせず、投資家と消費者に利益を還元するからだ。このようなある意味受益者負担を徹底していけば、過疎地帯はますます過疎地帯となり、都市の過密はさらに高まる。

第三章は我々の中にある二面性というものを説明している。税金は安い方が良い、しかし、社会保障は充実していた方が良い、という論理である。著者は、我々が少し我慢すれば、社会はもっとよくなるというようなことを説くが。

超資本主義が国境を越える例を説明する。カルフォルニアの公務員退職者が出資する、退職年金基金カルパースはフランスの企業アルカテルに1万2千人のリストラをさせた。カルパースはアルカテルが無駄なコストを削減して株価を上げることが出来ると踏んでアルカテルの株を大量に買った。アルカテルの経営陣がなかなか人件費削減に踏み切らないと、売ってしまうぞ、と言って脅かす。結果、アルカテルはカルパースの要求に屈し、従業員を削減した。著者は言う「カルフォルニアの心優しい公務員は旧いヨーロッパに情け容赦なく超資本主義を持ち込んだ。カルパースのマネージャーも自分の仕事はポートフォリオの価値を最大限にするという職責を果たしただけ」

第5章は民主主義とCSR(Corporate Social Responsibility企業の社会的責任)である。政治家が企業に対し、公益のため自発的に行動するように要求すると、政治や民主主義は機能しなくなると著者はいう。我々は、政治家が企業に苦言を呈したり、道徳性を求める場面を見て、とくになんとも思わないが、あれは政治の目くらましだという。政治は企業に対し自発的に善行を求めるのではなく、あくまで、法で規制してこそ、政治の本分なのである。アメリカでこのように言われているのだから、日本などはなおさらである。アメリカ人は企業の自発的善行に危機意識を持っている分だけマシかも知れない。日本は法で雁字搦めにすることよりも、企業が自発的に善行を行った方が、市民ウケもいい。解釈によっては、アメリカのよりもさらに民主主義と隔たりがあるような気がする。そもそも、日本人は民主主義的なものをまったく好んでいないのかもしれな。ご都合よく民主主義という言葉を持ち出すのは大好きだが。

CSR批判は本編ではなく、巻末に収められた勝間和代の推薦文に分かりやすく書かれている。そもそも、本質的なCSRを企業に求めるのは無理がある。なぜなら、消費者は一円でも安いものを欲する。だから、企業も努力して一円でも安いものを作ろうとする。そうすれば、従業員や取引先にしわ寄せが行く。かりに、ウォルマートが高賃金を支払い医療保険をあたえると、商品の値段はあがり、集客力が落ち、雇用がしぼむ。だからこそ、企業が自発的にやることを望むのではなく、やらなければならない仕組みを民主的に作り出さなければ、いつまで経っても市民的な世の中は実現されない。昔は防衛や強い国家が再分配を行っていたが、国の力が弱まるにつれて、国への批判は強まり、企業、投資家、消費者が強くなっていく。それが良いのか悪いのかは、程度問題であろう。

法人に対する疑問点は面白い。企業は人ではない。契約書の束に過ぎない。企業は契約書以上の発言の自由、法の適正手続、民主主義における政治的な権利を持つべきではない。こういった権利を持っていいのは生身の人間だけである、という。企業に人格を与えることにより「愛国心がある」「法令を遵守している」「野蛮だ」などと、あたかも人格が如く評価してしまう。このことが資本主義と民主主義を曖昧にしているという。法人を解体し、法人税も廃止するべきだ。結局、税金を納めるのは人間であり企業ではない。本書には不公平が起きる理由が説明されている。また、企業の刑事責任等も、企業の一人が行うことが、何万人もの従業員に波及してしまう。これも、企業が人格をもつという奇妙な結果である。

結局、著者は企業活動や国家活動を制限し、個人一人一人に社会保障費の使い道を検討させることが出来るならば、上記の個人の二面性のうち、善性の部分が機能するだろう、その結果、社会はよりよい方へ向かうだろう、と結論づけている。しかし、余は全く逆だと思う。それは、著者が言うように企業は人であると言うことだ。至上の利益を追求しているのは企業ではない。人である。新自由主義を推し進めているのは国家ではない。人である。世の中には自分を犠牲にして他人のためになることをする人間もいれば、その逆のことをする人間もいる。ならば、どうすればよりよい世の中を作ることが可能なのか。それは、個人個人に任せることではない。ゴットノーズ、ジーニアスノーズ、なのではなかろうか。それを知っているのは、或る天才だけだ。普通の人は知らない。なぜなら、みんながわかる幸福があるならば、この世はとっくに幸福だ。、未来永劫全員が幸福になる世の中はない。可能なことは、なるべく多くの人間を幸福にすることかも知れない。もしくは、ある線引きをした内側だけを幸福にすることも可能かも知れない。

オススメ度: レベル4
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