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2011.06/01(Wed)

大阪維新の会 君が代斉唱条例について思うこと 

君が代斉唱で起立を命じた校長の職務命令を合憲とした最高裁判決、大阪維新の会の国旗の掲揚及び教職員による国歌の斉唱に関する条例、自民党の国旗損壊罪などなど、国旗や国歌に対する統治権力の関心が高まっている。だいたいどれも目的は「次代を担う子どもが伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛する意識の高揚に資する」としている。

http://www.pref.osaka.jp/gikai_giji/2305gian/230527.html

橋本知事はプリンセストヨトミのイベントで「大阪、独立しましょう、皆さん!」と言ったそうで、例え冗談でも臣民としての自覚があれば言えない。何に対する愛国心か?
ノリで口が滑っただけだと思うので追求はしないが。

数学で「足し算は教えるが、引き算はマイナス思考なので教えない」などという教員がいたら、服務規程違反で処分されるのもわかる。しかし、国歌を歌わないからといって処分されるというのは首を傾げる。はにゃ? って感じだ。ちなみに、赴任してきたばかりの先生は校歌を歌えない。

国歌を歌わせようとする条例に通常の服務規程とは異なるベクトル、つまり、愛国心を涵養させようという思惑が含まれているのは明らか。

余自身はしっかり君が代を歌うし、入場のさい、日の丸に一礼する。愛国心を涵養することはいいことだと思っている。しかし、それが強制であってはなんの意味もない。国歌斉唱と愛国心は全く関係がない。歌うだけなら初音ミクでも歌える。普通統治する人は、どうしたら人々が公徳心をもてる政治ができるのか苦心する。統治と圧政の違いを上記の連中は学んでない。

陛下は以前「強制でないことが望ましい」と聞こえさした。不敬ながらも大御心をご拝察いたせば、形だけの屈従や随従などお喜びにはならないはずである。そのような虚礼にはなんら意味はなく、積怨をつくるだけである。一体どれだけの教育者が、このお言葉に従い、強制でなく児童生徒の赤心を芽生えさす努力をしただろうか。どれだけの為政者がしただろうか。橋本や自民党がやろうとしていることは真逆である。

余がもっとも危惧する点は、子供達が義務であるから歌う、学校で教えられたから国旗に一礼する、のような習慣が身についてしまうことだ。これらは、自発的にそう思い、自発的に行動するからこそ崇高なのである。赤信号だから止まる、みたいに、決まっているから歌う、みたいな条件反射でやられてはかなわない。歌わない教師を見て、「なぜあの先生は国歌斉唱をせず、苦虫をかみつぶしたような顔をしているのだろう?」と生徒が考えることは有用ではないか。もし、すべての先生が歌わなかったらどうするか? それは素直に統治に失敗したことを認めた方がいい。

ヨーロッパを発展せしめ、近代資本主義を生み出したのはカルヴァンの予定説だ。偶像崇拝やお布施、つまり「形のある何か」をすれば救われるという直裁型思考を吹き飛ばし、人々の精神が恒常的に善を追求する、そんな状態においてしまった。国を愛する心も同様で、「形のある何か」をすればそれでいい、などということはあり得ない。常にどうしたらいいのか考え続ける姿勢こそ教えるべきことではないか。もちろん難しい。しかし、難しいからこそ価値がある。


《参考・関連図書》

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)
(1989/01/17)
マックス ヴェーバー

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テーマ : 憂国 - ジャンル : 政治・経済

【編集】 |  12:33 |  余の日記  | TB(0)  | CM(2) | Top↑
●hierarchy
日本人のことについて、もっとよく学ぼう。日本語しか知らない人は、日本についてもよく知らない。


言語は、考えるための道具である。言語が違えば、考え方も異なる。

日本人は、本当に礼儀正しいのか。
我々の礼儀作法は、序列差法である。序列なきところに礼儀なし。
日本語には階称 (言葉遣い) がある。
言葉遣いの意味を身振りで表わせば、序列差法になる。

日本人は、なぜ察し (勝手な解釈) を使うのか。
意思は、未来時制の内容である。
日本語には、時制がない。だから、未来時制もない。
日本人には、意思がない。
それで、勝手な解釈を利用する。

日本人には、恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。
恣意は、文章に表わせない。アニマル・子供に共通である。
恣意は、相手により察しにより文章化される。
本人には、その内容に責任がないが、それは本人の意向とされることが多い。

日本語には階称 (言葉遣い) があるので、日本人は序列人間 (縦社会の人間) になる。
義理 (序列関係) がすたれば、この世は闇だ。
意思はなくても、恣意があるので、アニマル風に行動する。

意思のない日本人は、天の声により行動が定まる。自分自身で考える力はない。
問題を解決する能力はないが、事態を台無しにする力は持っている。
だから、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ぶ必要に迫られることになる。
これは、昔からある浪花節でしょうね。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

noga | 2011.06.01(水) 14:30 | URL | コメント編集
●Re: hierarchy
コメントありがとうございます。
URLの方も見させていただきました。
タモヒト(田目仁元 たもくひともと) | 2011.06.02(木) 09:53 | URL | コメント編集

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