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2013.01/31(Thu)

それをお金で買いますか――市場主義の限界 

それをお金で買いますか――市場主義の限界それをお金で買いますか――市場主義の限界
(2012/05/16)
マイケル・サンデル、Michael J. Sandel 他

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大ベストセラー「これからの正義の話しをしよう」の続編。これからの正義の話をしようは政治哲学史の話しで、最終章あたりに、少しだけサンデル氏の理想が述べられている。本書はその最終章を演繹したもの。また、本書だけを読んでも真価はわからないと思う。これからとあわせて読むべし。

サンデル氏は本書でもたっぷりと様々な事例を提示する。一章はレクサスレーン。行列に金を払って割り込むのは正当かという問題である。市場経済の論理からいえば、売りたい側と買いたい側が同意しているならば問題ない。ただ、飛行場や遊園地ならともかく、それが病院だったらどうだろうか、公共劇場だったらどうだろうか、という問いが提示される。

第二章はインセンティブ。お金はどのように人々のインセンティブに働きかけるかという問題。また、お金をインセンティブとした結果、それまでの規範が変わるのではないのかという重要な問題を提示する。例としてイスラエルの保育所が出される。イスラエルの保育所では、迎えに遅刻してくる親に罰金を科した。通常の経済学的な発送では、罰金がインセンティブとなり、遅刻が減ると思われる。だが、実際は遅刻は増えた。遅刻することが「申し訳ない」という道徳的感情が罰金というシステムにより、「金を払えばすむ」問題に変質してしまった。また、子どものテスト結果に賞金を出して勉学に励ませるインセンティブの例を出す。ここでは、子どもの試験結果は確かに上がった。しかし、学問に対する正しい姿勢を教えていることになるのだろうか。最後はこう結ばれる。「つまり経済学者は道徳を売買しなければならないのである」と。お金により道徳的規範が変質してしまう結果、経済上や合理上の利点と道徳の利点を天秤にかけて金を払うかどうか決めるようなことである。ここで問題が提起される。金銭で売買すると言うことは二つの観点から非難されるべきだという問題だ。一つめは、公正の観点。保育所の遅刻の例をとれば、金持ちはいくらでも遅刻が可能であるが、貧乏人は遅刻が出来なくなる。臓器売買なども同じ理屈で、いくら自由市場で双方の合意で値段が付いているといっても、真に公正な取引はあり得るのか。経済的弱者が結局は臓器を手放すだけではないのか、という問題。もう一つは腐敗の問題。仮に、遅刻者すべてが同じ経済状況であったとしても、遅刻を金銭で解決することにより、遅刻がいけないのだという道徳律が変質してしまう。臓器も同様で、仮に、全く同等の交渉力がある取引であっても、臓器を取引することは人体というある種神聖なものに対する冒涜であり、これを許せば道徳律が歪んでしまうという問題。一つめの問題がクリア出来たとしても、二つめの問題はクリア不能である。

第三章はお金で買えるもの、買えないものである。例えばノーベル賞はお金では買えない。例え買えたとしても、金で買ったノーベル賞に意味はあるのか? 友人も同じである。真の友人を金で買って、それを真の友人といえるのか? つぎに、プレゼントの問題を考察する。プレゼントが単に効用の最大化を目標とするならば、現金を送った方が効率的だ。経済学者はプレゼント交換を人類の克服されるべき非効率性だと信じている。実際に最近はギフトカードが主流になってきた。経済学者的には良い方向へ向かっていると考えている。お札を突きつけ合うまでもうあと一歩だが、我々は現金をもらうことを好まない。本当はギフトカードも相応しくないと思う。つまり、プレゼンとの目的は効用の最大化ではない。友人関係の目的が効用の最大化ではないように。効用を最大化させるのが目的である現金とは相容れないものなのである。次に、スイスの核最終処分場を受け入れる自治体の例がでる。その自治体の住民は最終処分場を受け入れるという。しかし、一人一人に膨大な保証金を与えることを示すと、受入を拒否する。おなじく、献血の例では、献血を行っていた人間に、謝礼金を払うと、それまで献血していた人間は献血をしなくなる。一件意味がわからない。経済学者は、献血をしたい人は献血をしてお金をもらえるのだから、なお良いことではないか、と思うが実際は違う。献血に金を払うと、金のために献血をする貧乏な人間が出てくる。すると、いままで献血をしていた富裕層は、自分が献血をして彼らの仕事を取り上げてしまうのが良いか、それとも寄付金という形で献血を奨励するべきかわからなくなるというのだ。スイスの自治体の例も同じで、どこも最終処分場を作られるのは嫌だ。しかし、市民の義務としてどこかがやらなくてはならないのならやろう、という気構えであったのが、保証金によってそれが覆る。つまり、金をやるから受け入れろというのなら、自治体側だって、金をやるから他所に作れ、という論理がまかり通る。まさに、ルソーが危惧した、税金とは市民の自由の対局にあるもので、税金によって片をつけていると、その国の滅亡は早い、というものだ。まさに、いまの日本ではないか。

第四章は保険の話しである。アメリカでは企業が従業員に保険をかけて、従業員が死ぬと遺族ではなく企業が保険金を受け取る。企業は従業員にかけた職業訓練費の回収で、その保険金により次の従業員に職業訓練を受けさせると言うが、本当のところは節税対策だろう。従業員は知らぬ間に企業から保険をかけられていたのだ。企業が保険をかける正しい根拠はあるだろうか。もともと、保険はギャンブルだった。未来予測という点ではギャンブルである。多くの国で最近まで生命保険=命のギャンブルは禁止されていた。例え家族のためだとはいえ、誰だった保険に入るのはいい気がしない。「おまえが死ぬと○○万円支払われるぜ」と説明されるのだ。アメリカでもやはり異論が出たらしく、いくつかの州では従業員を保険に加盟させる場合、通知することが義務づけられた。ウォルマートでは、保険に入ってくれると無償で死亡保険5000ドルを支払うという。ウォルマートが受け取るのは30万ドルほどだが。また、アメリカでは保険証券の売買がなされている。投資家は老人や病人から死亡保険を買い取り、保険金を支払い、老人や病人が死んだら、保険金を受け取る、という仕組みだ。当然、保険を買い取った投資家は、対象者が早く死ぬことを望む。なかなか死なないからといって訴訟になったケースもある。確かに、売買をすれば双方に利益が生じるかも知れない。しかし、誰かが早く死ぬことを望む売買などは道徳的に正しくない。このような売買を公に認めることは公民教育上問題である。教育とは学校で先生が生徒に教えることだけではない。それよりも、もっと大きな教育は、いかなる社会がいかなる市民を育てるかという点である。非道徳的な社会では、学校でどれほど高邁な道徳を吹こうとも、非道徳的な市民しか生まれない。アメリカはとっくに非道徳的な社会に堕したが、日本も必至の感がある。

第五章はスカイボックスと命名権。スカイボックスとは球場などに設置された貴賓席である。いま、アメリカではどの球場も貴賓席を設けて、超高額料金を科しているらしい。サンデル氏は、「昔の球場というのは資本家も労働者も同じ目線からスポーツを観戦し、ともにチームを応援したものだ」と嘆く。球場のスカイボックスは階級社会の象徴であるという。ゲイティッドコミュニティのスポーツ版なのである。つぎに、命名権。最近では自治体が公共施設にネーミングライツという形で企業の名前をつけている。例えばMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島(広島市民球場)など。もちろん、アメリカではもっと流行っている。アメリカ、イギリス、ではすでにパトカーにまで企業の広告が貼られている。また、学校などの教育機関へも企業の広告が進出している。日本でもそのうち、皇居の石垣に「パナソニック」などと刻まれる日が来るのかも知れない。諸賢は、あり得ないと思うだろうが、アメリカでも最初はパトカーに広告をつけるのはどうかという疑問があったのだ。しかし、ある議員はこう言ったらしい。「最初は反対だったが、財政的魅力があるのも事実。それに、見回せば様々な公共施設にすでに企業の名前は入っている。パトカーに入ってもおかしくはない」と。この論理で行けば、パトカーに入れて良いのだから、警察署に入れて良い。警察署に入れて良いのだから官公庁に入れて良い。官公庁に入れて良いのだから国会議事堂に入れて良い。国会議事堂に入れて良いのだから……、という具合で皇居にまで広告が侵入してくる。公金横領とか、大泥棒とかで捕まる奴も、最初はキセル乗車くらいだったかも知れない。社会規範というものは徐々に変化し現在の道徳を覆す。

本書を読んでいると、道徳律の変化という問題と同時に、古き良き時代というものが映し出される。しかし、例えば資本家と労働者が同じベンチに座り贔屓のチームを応援する、などというのは、ここ70年くらいの話しで、それより前は貴族と庶民として、完全な分離があった。人類の歴史としては階級社会の方がよほど長いのである。では、ここ70年ほどが比較的平等な市民社会を築いたのは何故かと考察すると、それは戦争ではなかろうか。日本の階級社会は戦争がぶちこわした。否、日本だけではない。あらゆる国で戦争が階級をぶちこわした。また、昔の貴族というものを考察してみると、これも単なる「儲かった奴」に過ぎない。軍事的にせよ、経済的にせよ。儲かった奴の子孫が貴族としてえばっていただけである。貴族が既得権益を失うのはいつか。乱世である。現在は治世である。経済的強者が貴族になろうとしている。これまでと同じことが起こっているのである。


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