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2008.12/10(Wed)

暴走する資本主義 

暴走する資本主義暴走する資本主義
(2008/06/13)
ロバート ライシュ

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売れているらしい。世界中の民主主義が揺らいできた証左である。もっとも、本書はそれほどアグレッシブなものではない。本書の命題は資本主義と民主主義を対比させて、その両立の難しさ、結局、資本主義に民主主義は呑み込まれてしまうのか否か、などを論じる。

60年から80年代のアメリカを疑似黄金時代として、企業と政治、民衆の三者がそれなりに反映を謳歌できた時代だと説く。企業の数は少なく、企業の利益が国家の利益になった時代であった。人々はそれほど株価に感心を抱かなかった。また、企業は談合なんか当たり前、価格のつり上げも胸一つ。様々な産業は規制だらけで、新規参入など出来ない。ほとんど政府指導で、がんじがらめにしながらも、邪悪な社会主義の匂いがするから、という理由で、誰も「計画」という言葉を使わなかった。実態は社会主義経済だった。

70年代から社会主義経済が壊れ始めた。規制緩和が行われ始めた。消費者と投資家が力を持ち始めたのだ。なぜ、それ以前ではなく、70年代なのかというと、技術革新に依るという。つまり、ダウンサイジング化である。技術の発達は冷戦に依るものである。トヨタ、日産、ホンダの参入により、もはや、ビッグスリーは自由に価格を決めている余裕はなくなった。投資家は、利益の出ない企業を見放すようになった。

面白かったのはコンテナの開発の話である。アメリカは当時ベトナム戦争で、大量の物資をベトナムに輸送しなければならなかった。従来の木箱では埒があかない。そこで、巨大な鋼鉄の箱と港を造った。コンテナはアメリカからベトナムに行ったが、ベトナムから帰るとき、空箱で帰るよりも、日本に立ち寄り、テレビや時計、台所用品を満載して帰る方が儲かることが判明した。まさに、グローバル経済の始まりであり、もっとも初期にグローバル経済の恩恵を受けたのは日本なのである。

製品が小型、軽量になれば、輸送コストはさらに下がる。しまいには、自国でものを造るよりも、人件費の安い海外で造った方が儲かるようになってしまった。ここにも技術革新が、一国の経済事情を左右してしまう力があることが分かる。

ベルシステム解体、航空規制緩和の話も日本に通じるところがある。日本ならば、JRなどが良い例で、鉄道を完全民営化した場合、競争が働くのはいいが、人があまり利用しない過疎地帯の路線は廃止されたり、大幅に減少させられたりする。儲かっているところは、利益を不採算部門に回すことはせず、投資家と消費者に利益を還元するからだ。このようなある意味受益者負担を徹底していけば、過疎地帯はますます過疎地帯となり、都市の過密はさらに高まる。

第三章は我々の中にある二面性というものを説明している。税金は安い方が良い、しかし、社会保障は充実していた方が良い、という論理である。著者は、我々が少し我慢すれば、社会はもっとよくなるというようなことを説くが。

超資本主義が国境を越える例を説明する。カルフォルニアの公務員退職者が出資する、退職年金基金カルパースはフランスの企業アルカテルに1万2千人のリストラをさせた。カルパースはアルカテルが無駄なコストを削減して株価を上げることが出来ると踏んでアルカテルの株を大量に買った。アルカテルの経営陣がなかなか人件費削減に踏み切らないと、売ってしまうぞ、と言って脅かす。結果、アルカテルはカルパースの要求に屈し、従業員を削減した。著者は言う「カルフォルニアの心優しい公務員は旧いヨーロッパに情け容赦なく超資本主義を持ち込んだ。カルパースのマネージャーも自分の仕事はポートフォリオの価値を最大限にするという職責を果たしただけ」

第5章は民主主義とCSR(Corporate Social Responsibility企業の社会的責任)である。政治家が企業に対し、公益のため自発的に行動するように要求すると、政治や民主主義は機能しなくなると著者はいう。我々は、政治家が企業に苦言を呈したり、道徳性を求める場面を見て、とくになんとも思わないが、あれは政治の目くらましだという。政治は企業に対し自発的に善行を求めるのではなく、あくまで、法で規制してこそ、政治の本分なのである。アメリカでこのように言われているのだから、日本などはなおさらである。アメリカ人は企業の自発的善行に危機意識を持っている分だけマシかも知れない。日本は法で雁字搦めにすることよりも、企業が自発的に善行を行った方が、市民ウケもいい。解釈によっては、アメリカのよりもさらに民主主義と隔たりがあるような気がする。そもそも、日本人は民主主義的なものをまったく好んでいないのかもしれな。ご都合よく民主主義という言葉を持ち出すのは大好きだが。

CSR批判は本編ではなく、巻末に収められた勝間和代の推薦文に分かりやすく書かれている。そもそも、本質的なCSRを企業に求めるのは無理がある。なぜなら、消費者は一円でも安いものを欲する。だから、企業も努力して一円でも安いものを作ろうとする。そうすれば、従業員や取引先にしわ寄せが行く。かりに、ウォルマートが高賃金を支払い医療保険をあたえると、商品の値段はあがり、集客力が落ち、雇用がしぼむ。だからこそ、企業が自発的にやることを望むのではなく、やらなければならない仕組みを民主的に作り出さなければ、いつまで経っても市民的な世の中は実現されない。昔は防衛や強い国家が再分配を行っていたが、国の力が弱まるにつれて、国への批判は強まり、企業、投資家、消費者が強くなっていく。それが良いのか悪いのかは、程度問題であろう。

法人に対する疑問点は面白い。企業は人ではない。契約書の束に過ぎない。企業は契約書以上の発言の自由、法の適正手続、民主主義における政治的な権利を持つべきではない。こういった権利を持っていいのは生身の人間だけである、という。企業に人格を与えることにより「愛国心がある」「法令を遵守している」「野蛮だ」などと、あたかも人格が如く評価してしまう。このことが資本主義と民主主義を曖昧にしているという。法人を解体し、法人税も廃止するべきだ。結局、税金を納めるのは人間であり企業ではない。本書には不公平が起きる理由が説明されている。また、企業の刑事責任等も、企業の一人が行うことが、何万人もの従業員に波及してしまう。これも、企業が人格をもつという奇妙な結果である。

結局、著者は企業活動や国家活動を制限し、個人一人一人に社会保障費の使い道を検討させることが出来るならば、上記の個人の二面性のうち、善性の部分が機能するだろう、その結果、社会はよりよい方へ向かうだろう、と結論づけている。しかし、余は全く逆だと思う。それは、著者が言うように企業は人であると言うことだ。至上の利益を追求しているのは企業ではない。人である。新自由主義を推し進めているのは国家ではない。人である。世の中には自分を犠牲にして他人のためになることをする人間もいれば、その逆のことをする人間もいる。ならば、どうすればよりよい世の中を作ることが可能なのか。それは、個人個人に任せることではない。ゴットノーズ、ジーニアスノーズ、なのではなかろうか。それを知っているのは、或る天才だけだ。普通の人は知らない。なぜなら、みんながわかる幸福があるならば、この世はとっくに幸福だ。、未来永劫全員が幸福になる世の中はない。可能なことは、なるべく多くの人間を幸福にすることかも知れない。もしくは、ある線引きをした内側だけを幸福にすることも可能かも知れない。

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アメリカは正気を取り戻せるか―リベラルとラドコンの戦いアメリカは正気を取り戻せるか―リベラルとラドコンの戦い
(2004/10)
ロバート・B. ライシュ

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勝者の代償―ニューエコノミーの深淵と未来勝者の代償―ニューエコノミーの深淵と未来
(2002/07)
ロバート・B. ライシュ

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資本主義は嫌いですか―それでもマネーは世界を動かす資本主義は嫌いですか―それでもマネーは世界を動かす
(2008/09)
竹森 俊平

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2008.11/15(Sat)

創価学会の研究 

創価学会の研究 (講談社現代新書 1965)創価学会の研究 (講談社現代新書 1965)
(2008/10/17)
玉野 和志

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意外に、知らない創価学会の概要。本書はそれほど深く創価学会の中身を研究したものではない。ただ、表っつらを述べているに過ぎない。が、我々の先入観はその表っつらすらまともに見ようとしてこなかったのではないだろうか。

本書はまず、創価学会の歴史について触れられている。黎明期から、共産党との確執の経緯等が説明されている。次ぎに、創価学会の魅力について説明されている。例えば、身分も何もない人間でも、多くの信者を獲得してくると偉くなれるとか、仏教思想に触れることにより、無学から脱却できる等。しかし、現在ではこれらの魅力が必ずしも魅力とは移らない、その時代の変遷等も説明されている。

また、世間が、創価学会を含む宗教団体・宗教者に対して、どのような期待を持っているかを説明し、創価学会側から見た、そのような世間とは何なのかという研究がなされている。

また、面白いのが海外の創価学会研究で、とくにヨーロッパ圏の海外人が、なぜにキリスト教ではなく創価学会を選ぶかの説明が社会学者的になされている。端的に言うと、初期の資本主義は、資本の蓄積、つまり、勤労と倹約を重んじてきた。しかし、後期近代の消費中心の経済に移行するにあたり、キリスト教的禁欲は世情と合わなくなる。そこに、創価学会の個人の欲求の成就を是認する思想は、キリスト教圏の人間のエートスを支持した、とある。

最後に、創価学会と公明党の関係が述べられている。如何に創価学会システムが自民党システムと合致しているか。これを読むと、創価学会とは、前近代的遺産を現在に甦らせた集団とも感じられないこともない。余の感想では、それも、もうここまでであろう、という気がしてならないが。

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《参考・関連図書》

創価学会 (新潮新書)創価学会 (新潮新書)
(2004/06)
島田 裕巳

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創価学会・公明党「カネと品位」創価学会・公明党「カネと品位」
(2008/10)
福本 潤一

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公明党・創価学会の真実 (講談社+アルファ文庫 G 143-3)公明党・創価学会の真実 (講談社+アルファ文庫 G 143-3)
(2008/08)
平野 貞夫

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2008.09/10(Wed)

図解入門業界研究 最新 農業の動向とカラクリがよーくわかる本 

図解入門業界研究 最新 農業の動向とカラクリがよーくわかる本 (How‐nual Industry Trend Guide Book)図解入門業界研究 最新 農業の動向とカラクリがよーくわかる本 (How‐nual Industry Trend Guide Book)
(2006/05)
筑波 君枝

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余は家が農家なわけでもなんでもない。農業についての知識は皆無である。また、田植えの方法や剪定の仕方など、耕作的テクニカル面は興味すらない。もっと政治的な、自給率や輸入額、世界の食糧事情等、今後の社会問題の方に興味がある。本書は、農薬の詳細な説明等もあるが、おおよそ、上記のような農業を取り巻く情勢が詳説されており、非常に楽しめた。

日本の耕作面積は年々減っている。その主な理由は国内で作るよりも輸入して買った方が安いからだ。これは、伝統工芸的な問題とも似ていると思う。日本の匠の技が、海外の安い製品に押されているというのと同じロジックだ。

日本は南北に長い。だから、多様な作物を栽培できる。これは、一国で生きるためには有利な条件だ。

現在、農業従事者の半数が65歳以上である。このままでは、日本の農業は滅びる。政府はここにこそ、改革のメスを入れなければいけない。例え地権者が嫌がろうとも、強権的な手段で土地を収奪し、土木事業のように、労働者を強制的に従事させなければいけない。これは、食糧問題ではなく、安全保障の問題であることを認識するべきである。敗戦直後にやって出来たことが、今できないはずはない。

株式会社が農地を取得するという、新しい形態が本書では紹介されている。昔、ユニクロが農業に参入して、這々の体で退散したところを見るとなかなか難しい。何度も言うようだが、輸入した方が安いのだ。国内農業は今の状況では決して利益が上がるものだとは思えない。だからこそ、国営に向くのである。繰り返す、これは、安全保障の問題なのだから。

本書に「日本の凶作でセネガルが米不足になる」というのが載っていた。余はまさにグローバリゼーションを象徴する出来事だと思った。これから、こういうことは往々にしておこるであろう。まさに、風が吹けば桶屋が儲かる、の地球板だ。

日本の凶作でセネガルが米不足になるとは、こういうことである。
1993年、日本は百年に一度の大凶作となった。そのため、日本はタイ米を輸入した。日本が輸入した米は世界流通量の20%。タイは日本へ米を緊急輸出した結果、より価格の安いベトナム産の米を輸入。今度は、ベトナムから米を輸入していたフィリピンが困った。安い米を買うという連鎖反応が次々起こり、最終的な米不足に陥ったのがセネガルというわけである。

今の日本を倒すのは核兵器などいらないのである。兵糧攻めにすれば一発だ。自給率を100%にしろとは言わないが、せめて兵糧攻めに耐えられるくらいの自給率は欲しい。

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食糧がなくなる!本当に危ない環境問題 地球温暖化よりもっと深刻な現実食糧がなくなる!本当に危ない環境問題 地球温暖化よりもっと深刻な現実
(2008/08/20)
武田 邦彦

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中国の三農問題 (日本農業の動き)中国の三農問題 (日本農業の動き)
(2005/12)
農政ジャーナリストの会

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食糧争奪―日本の食が世界から取り残される日食糧争奪―日本の食が世界から取り残される日
(2007/07)
柴田 明夫

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2008.09/05(Fri)

入札改革 

入札改革 (岩波新書)入札改革 (岩波新書)
(2003/12/20)
武藤 博己

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前半は入札における談合の実情を記している。どうして、談合が発生するのか、それを取り締まる法はあるのか。政官業の鉄のトライアングルといわれる構造も記されている。

現在、様々な民間委託が進んでいる。民間に委託に出すものには競争原理が働いていなければ、それは単なる役所の人件費削減である。例えば、うちの自治体にも、役所の随契をずっとやっていて、役所が入札に変えた瞬間に倒産するような企業がある。役所がなければ生きていけない企業を、はたして民間企業と呼ぶことが出来るであろうか。

第二章は公共サービスについてである。近年は住民の自治理念が薄れ、介護をはじめ、多くのことを行政が行うようになった。さらに、住民の要求はましている。当然、財政困難に陥るのは目に見えていた。そこで政府はネオリベ化する。小さな政府を標榜して、なるべく、政府の手から事業を切り離し、民間や市場原理に任せる。その良い例が病院である。本来、ネオリベは政府が手を出さなくても、社会の自治が行き渡るように工夫する。しかし、現在の日本は、ただ財政支出を減らすことだけが目標であり、住民も政府の借金に目くじらを立てるわりには、借金の増える要因には無関心なのである。

役所の民間委託は、ごみ運搬収集、駐車場管理や、庁舎清掃に限らない。究極のところでは、企画運営でさえコンサルタントに委託している。そのうち、委託するか否かを決める部署も委託になり、委託先がさらに孫請け、ひ孫請けとなりそうだ。庁舎内に公務員がいなくなる日も遠くあるまい。現在でさえ、半分以上は委託や非正規である。本書には高浜市、志木市の事例が載っている。

第三章は総合評価型入札についてである。今までは、価格だけが判断基準であった。しかし、これからは、価格だけではなく、企業に事業内容をプロポーザルさせて、事業内容評価や価格等を加味した上で落札業者を決める。PFI事業などは良い例である。

さらに、著者は政策入札の導入を主張する。政策入札とは、入札基準に、環境、福祉、男女共同参画、等の社会評価を盛り込むことである。

政策入札によって、談合がしにくくなるのは確かであろうが、制度を煩雑にすればするほど、国の活力が衰えることを懸念する。また、儲からなければ民間企業ではない。どんな制度を入れたところで、儲かりそうならば談合は決してなくならない。

しかし、この価格競争というものはいつまで続くのであろうか。民間企業などコスト削減と、いったい、何十年やっているのであろうか。また、低価格になった先にはなにが待ち受けているのであろうか。

価格を下げること、効率よくすることは重要である。しかし、余は日本国という線を引いたからには、その線の内側のパイを大きくすることなしに、内側のパイの効率化に終始するようでは、線の内側の未来はないものと考える。

不正入札―公共事業に群がる業者たち

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談合を防止する自治体の入札改革談合を防止する自治体の入札改革
(2008/08)
鈴木 満

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規制改革の経済学―インセンティブ規制、構造規制、フランチャイズ入札規制改革の経済学―インセンティブ規制、構造規制、フランチャイズ入札
(2003/12)
山本 哲三

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政策づくりに役立つ自治体公共事業分析―入札・発注制度改革、地域づくりのために政策づくりに役立つ自治体公共事業分析―入札・発注制度改革、地域づくりのために
(2007/09)
不明

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2008.09/02(Tue)

ごみ社会学研究―私たちはごみ問題とどう向き合ってきたか 

ごみ社会学研究―私たちはごみ問題とどう向き合ってきたか?ごみ社会学研究―私たちはごみ問題とどう向き合ってきたか?
(2007/06)
田口 正己

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ごみ社会学研究と銘打ってあるが、普通のごみ研究である。

序章は著者が神奈川から千葉県の野田市へ引っ越して来るところから始まる。買った野田の家が欠陥住宅で、そこから、行政と対峙し、ごみ問題へ首を突っ込む流れが、物語風に綴られており面白い。

筆者が野田に住んでいたせいか、柏市やつくば市の事例が紹介されている。

容器包装リサイクル法が施行された。これは、ドイツやフランスの先進事例が元になって作られたものなのだが、霞ヶ関の十八番で、似て非なるものが作られた。肝心要の部分がすげ替えられており、まったく役に立たない。どこがどう違うのかが載っている。

類似本の書評
ごみ問題の総合的理解のために

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ごみ問題100の知識ごみ問題100の知識
(2004/08)
左巻 健男金谷 健

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(2007/04)
坂田 裕輔

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まんがサイエンス〈4〉ゴミも積もれば環境問題!?ほかまんがサイエンス〈4〉ゴミも積もれば環境問題!?ほか
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2008.08/30(Sat)

世界がもし100人の村だったら 2 100人の村の現状報告 

世界がもし100人の村だったら 2 100人の村の現状報告世界がもし100人の村だったら 2 100人の村の現状報告
(2002/06/13)
池田 香代子

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上記の「世界がもし100人の村だったら」を増強したものだと思ってもらって良い。様々な統計や、「世界がもし100人の村だったら」のオリジナル板の「1000人の村だったら」の全文が掲載されている。さらに、後半は「100人の村だったら」に数人の著名人から寄せられたエッセイが掲載されている。

その中の一つに、「世界がもし100人の村だったら」がショッキングだったのは、現実では、20人が80%のエネルギーを牛耳っている村など、存在しないからである。というのがある。端的に我々のショックを物語っていると思う。

また、対外開放の強制と新たな貧困、というのも興味深い。
「これまで、自給自足で生活してきた東南アジアの農民は世界市場への輸出が可能になると、販売するために森林伐採やエビ養殖などを行うようになる。それは、一時的に現金収入をもたらすが、急激な開発は生態系を破壊し、また、人々の互助精神が廃れ、利己主義がはびこることにより、長期的にはむしろ貧困、洪水、土壌汚染などを発生させている」
とある。これが、どういう意味かは、現代社会の理論を参考にされたい。

本書にも、「一日、1ドル以下の生活を強いられている人々は12億人」とあるが、「1ドル以下=貧困」ではないことをはっきりと言いたい。考えてみて欲しい。日本で一日110円以下で生活できるであろうか? 即死である。それが、12億人もいるのだ。つまり、「一日、1ドル以下の生活を強いられている人々」というのはトリックで、貨幣価値がまったく違うのだから、そんなことは本当の貧困の根拠にはならない。もし、日本やアメリカで「一日、1ドル以下」の生活を強いられていたら、それが、本物の貧困である。この点は、是非注意して読まれたい。

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オルター・グローバリゼーション宣言―もうひとつの世界は可能だ!もし…オルター・グローバリゼーション宣言―もうひとつの世界は可能だ!もし…
(2004/08)
スーザン ジョージ

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もし世界の経済が100万円とかだったら―実感できる数字で比べてみました!もし世界の経済が100万円とかだったら―実感できる数字で比べてみました!
(2004/09)
鳥羽 賢

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世界がもし全部アメリカになったら世界がもし全部アメリカになったら
(2005/05)
勝谷 誠彦藤波 俊彦

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2008.08/29(Fri)

世界がもし100人の村だったら 

世界がもし100人の村だったら世界がもし100人の村だったら
(2001/12)
池田 香代子C.ダグラス・ラミス

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世界の統計を100として、それを、割っただけ、と言えばだけの本。薄いし、字は大きいし、半分絵本なので一瞬で読める。面白い。例えば、
「30人が子どもで、70人が大人で、その中の7人がお年寄り」
「70人が有色人種で、30人が白人」

だんだんとマニアックな話になってくる。
「全ての富のうち6人が59%をもっていて、みんなアメリカ合衆国の人です。74人が39%を、20人が、たったの2%を分け合っています」

60数億人とかなると、天文学的数字で想像でしにくいが、百人だと想像しやすい。簡略化故の誤りとかには注意しなくてはいけないが、世界を知るヒントとしては充分に役立つものだと思う。

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世界がもし100人の村だったら世界がもし100人の村だったら
(2002/08/21)
オムニバスサリフ・ケイタ

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1秒の世界 GLOBAL CHANGE in ONE SECOND1秒の世界 GLOBAL CHANGE in ONE SECOND
(2003/06/13)
山本 良一Think the Earth Project

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世界の半分が飢えるのはなぜ?―ジグレール教授がわが子に語る飢餓の真実世界の半分が飢えるのはなぜ?―ジグレール教授がわが子に語る飢餓の真実
(2003/08)
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2008.08/26(Tue)

ある異常体験者の偏見 

ある異常体験者の偏見 (文春文庫)ある異常体験者の偏見 (文春文庫)
(1988/08)
山本 七平

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山本七平の本は面白い。半年ほど前に、空気の研究を読んだ。書評を書いている内に、書くことが多すぎて、「これは、もう一回精読してからちゃんと書こう」と思いお蔵入りさせている。

ある異常体験者とは、もちろん、山本七平自信である。氏の戦争体験で見聞きしたことと、世論の乖離を論じ、自分のことを異常体験者と称しているのである。

本書には12の論文が収められていて、独立しているが、内容的に繋がるように出来ている。

前半は新井宝雄の主張に論駁を加える感じで進む。新井氏は「強大な軍事力を有した日本軍は中国の民衆の燃えたぎるエネルギーに負けた」と書いているが、山本氏は、それは嘘だ、という。というのも、当時、もっとも強かった軍隊は何十年も内戦を繰り返していた中国軍で、日本軍は赤子のようにあしらわれていた。また、日本の鉄砲や大砲は粗悪品の極みで、到底戦争どころではない、と。その事実を無視して、「民衆の燃えたぎるエネルギーによって負けた」とやれば、まったく、戦前の大和魂と同じであると。根拠や分析を無視して、精神論等という不確定なもので論じるのは、戦前の謬りを繰り返すだけである。

余が面白かったのはアンソニーの詐術。アンソニーの詐術とは扇動の仕方である。日本中がどのように扇動されて、あの戦争を行い、また敗戦後は、どのように扇動されて反日的言動を繰り返しているかがわかる。

今の日本への警鐘とも受け止められる部分も多い。平和な世の中というものはどんどん純化していくものである。そして、単純化する。簡単にいうと、社会のプラットフォームが堅固になり、思考力を使わなくても暮らしていけるようになるのである。そんな社会と真反対なのが戦場である。戦場では「敵が来た!」とは絶対に言わないらしい。「敵影らしきもの発見、当地へ向けて進撃中の模様」というらしい。この違いは、事実と判断の違いである。「戦場では事実と判断を峻別しなければ生きていけない」のである。文明は、判断と事実の乖離を少なくする。単純な言葉で言えば「便利」にする。判断の後、分析と決断やらを省いてしまう。その結果、人は真っ当な思考を失う。山本氏はそれを懸念している。

その他に、日本人の欠陥として、「可能か不可能か」の探求と、「是か非か」の議論が区別できない。余に言わせれば、益か不益かの区別も出来ていないと思う。あるものが「非」であるとすれば、それを非難することが、損であろうと、不可能であろうと、断固として「非」は許すまじの態度で挑む。その逆もまた然り。大和民族の美徳でもあるが、同時に、海千山千の世界を相手にするには厳しい。

占領軍数万人で、何千万人も住む日本を支配することは不可能なのだ。そこには、日本人が進んで支配を受け入れるシステムがなければいけない。日本がどのようにして、マッカーサーに支配されたかが縷々述べられている。

終章の一億人の偏見では、山本氏の偏見から、文字通り、日本国民の偏見に移る。我々は、物事を偏見を持たないようにして見よう、と心がけている。しかし、そのようなことは現実には不可能なのだ。哲学的に言うと、主観は永遠に主観であり、客観というのは、客観的に見ようと意図した主観に過ぎないと言うことである。古典ギリシャ語には偏見と同義の言葉はない。逆に言えば、公正中立もまた存在しないのである。日本人はあたかも、公正中立、偏見を持たないこと、が存在するかのように考えているようだが、そんなものはないのである。古典ギリシャ語には、「好感的偏見」と「嫌悪感的偏見」という言葉ならあるそうだ。人間はこの二つの内、どちらかの偏見を持って物事に挑む。先入観や誤認もある。間違えて欲しくないのは、「人間は偏見を持っているのだから、偏見をもって物事に挑んでいいのだ」と言っているわけではない。「偏見を持っていることを計算に入れて、物事に挑むのがいい」と言っているのだ。

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「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))
(1983/01)
山本 七平

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日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21)日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21)
(2004/03)
山本 七平

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日本人と中国人―なぜ、あの国とまともに付き合えないのか (Non select)日本人と中国人―なぜ、あの国とまともに付き合えないのか (Non select)
(2005/01)
イザヤ・ベンダサン山本 七平

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2008.08/17(Sun)

ごみ問題の総合的理解のために 

ごみ問題の総合的理解のためにごみ問題の総合的理解のために
(2007/12)
松藤 敏彦

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本書は家庭から排出されるごみの問題を扱う。歴史的経緯もふまえて説明されているので、素人が読んでも非常にわかりやすいものになっていると思う。とくに、高度経済成長に合わせて、どのようにごみが増加していったか。また、近年のリサイクルの取り組みによって、どの程度リサイクルが行われ、資源の循環がなされているかもわかる。

今では、大概の自治体では、ごみは、ごみステーションに出しておくと、収集車がきて持っていってくれる。以前はそうではなかった。ごみ処理は有料だった。ごみ処理はある時を以て、国家のサービスとなった。もちろん、そのサービスには多大な税金が投入されているわけであるが。簡単に考えれば、ごみを減らせば、税金が減るのである。

外国の事例も紹介されている。焼却処理をしている国は少ない。普通の国はごみは埋めてしまう。その方がコストがはるかに安いからである。日本のように土地のない国は仕方なく燃やす。途上国では埋めることすらしない。纏めて山に捨てる。そのごみの山から使えるものを探す、スカベンジャーという人々がごみの再利用に貢献しているし、失業対策にもなっている。もちろん、労働環境も生活環境も劣悪だ。

今、紙の値段は高騰していて、古新聞はキロ15円くらいだというが、70年代には55円を付けていた。それが、回収率の上昇により、値段が崩れた。

ごみ焼却炉を作ろうとすると、近隣住民は大反対する。しかし、最近の焼却システムはハイテクで、公害は皆無に近いらしい。それでも、住民感情として、嫌なものは嫌だ。こういうのを外国ではNIMBY(ニンビー not in my back yard)と呼ぶらしい。どこの国も同じである。

最終章では「わたしたちはどうすべきか」という命題に取り組む。アイゼンハワーは、国民はなにをすべきか、と聞かれて、「買うことだ」と答えた。なにを買うのかと聞かれて、「どんなものでも」と答えたという。そういう、消費によって社会を回す時代は終わったと余は思っている。これからは、消費と言っても、ソフト的なものが推奨されるはずである。それは、資源を大切にとか、地球環境とかではなく、単に、経済的にそちらの方が理にかなっているからと言うだけのことである。また、そうでなければ、成功しないであろう。日本で今、自動車の利用率が下がっているのは、何年も前から環境家がCO2排出抑制を叫んでいたからではなく、ガソリンが高くなったからである。

研究書として、非常によくできていると思う。

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ごみ問題と循環型社会ごみ問題と循環型社会
(2007/04)
坂田 裕輔

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水とごみの環境問題 改訂3版水とごみの環境問題 改訂3版
(2007/07/20)
岡田誠之

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循環型社会キーワード事典―100Key Words of Waste Management and 3R循環型社会キーワード事典―100Key Words of Waste Management and 3R
(2007/10)
廃棄物・3R研究会

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2008.08/14(Thu)

変貌する民主主義 

変貌する民主主義 (ちくま新書 722)変貌する民主主義 (ちくま新書 722)
(2008/05)
森 政稔

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民主主義の歴史を振り返り、民主主義とはなにかを考察する書。結論から言うと、必ずしも、それに成功したとは言い難い。それほど、民主主義とは曖昧で、判然とせぬものなのかも知れない。

本書はわかりやすいように、「自由主義と民主主義」「多数と差異と民主主義」「ナショナリズム、ポピュリズムと民主主義」と章立て、対比して述べられている。わかりやすいようにと言っても、この書は難解である。新書ブームに乗って、新書でも読んでみようと気軽に手に取ると、泣く。

本書を読めば、「民主主義=神の正義」などという誤解は解けるはずだ。もっとも、最近はみんな民主主義にうんざりしているので、そのような誤解は存在しないかも知れないが。

なぜ、民主主義は色褪せてきたのか。本書では繰り返し、民主主義は適用領域を定める必要があると説く。学級会で「見て良いテレビ番組」を民主的に決定したりするのは、民主主義の逸脱、行き過ぎた民主主義である、と説く。ハイエクの議論のところでは、民主主義は社会一般のルールを定めるものに限定されなければならない、一般のルールとは法である。法は特殊利益を考慮しない。しかし、現在の民主主義では、立法府を通過したものなら、なんでも法だとみなされる。郵政選挙の残滓どもによって、なんでもかんでも通過してしまっている衆議院を見ると、民主主義が虚しくなるではないか。

面白かったのは民主主義と民主制の違いである。デモクラシーとは統治形態である。民主制と訳すのが正しい。民主制とは、君主制や寡頭制と並列な制度であり、君主主義や、寡頭主義がないように、本来ならば、民主主義も存在し得ない。事実、democracyにismは付かない。なのに、なぜ、民主主義というのであろうか、余はこの点が不思議でならなかった。本書にはその理由が説明されていた。以下の通りである。
「民主主義を機能させるためには、なぜ多数に従わなければならないのか、という認識が必要である。共同体の決定を無意味にしないため、等、理由があるなかで、もともと、フィクションとして語られていた多数が、ある時、実数としての多数に変化した。民主主義が主権という考え方を取り入れたからである。主権とは、王が法の支配を超越するために用いた概念である。ボダンの民主主義論では、この主権の概念を借用して、人民に用いたのである。これにより、人民主権という概念が生まれた。デモクラシーと人民主権が融合して、デモクラシーは単なる統治形態を指す言葉から、統治の正当性を指す意味に変わった」

時々ポピュリズム批判が起こるが、上記の理由から、ポピュリズムと民主主義の違いはない。ポピュリズム批判が万人に支持されれば、ポピュリズム批判こそがポピュリズムに乗っかって行われていることになる。ポピュリズムを批判することは、民主主義を批判することであると気付くべきである。

民主主義は国民を生み出した。国民は戦争を王侯や貴族から奪い、総力戦にしてしまった。アメリカは民主主義を用いて他国に攻め入り、「民主主義による平和」を謳っている。民主主義はセコいのである。さらに、民主主義によって平和をもたらす、と言って攻め入り、戦争の原因を非民主主義の国に負わせてしまう。民主主義は単に開戦の正当化を目論んだものに落ちた。

グローバル化により、一国の中で完結しない世界では、時間と空間に影響される民主主義は不都合なものである。たとえば、地球は子々孫々のものであるにもかかわらず、民主的に資源を枯渇させることが出来る(もちろん、民主的に護ることも可能ではあるが、それは後生の民主制を否定する、パターナリスティックなものである)。これは、時間的なものに、民主主義が機能しないことを意味する。また、アメリカ国民の民主的決定により、アフガンの民やイラクの民が生活を虐げられ、命をも奪われる(もちろん、アメリカの民主主義により、イラクに侵攻しないと決めることも可能であるが、それほどアメリカ国民は偉いのか)。これは、空間的なものに、民主主義が機能しないことを意味する。アメリカがどれほど民主主義を叫ぼうとも、イラクの民に決定権はなにもないのだ。

アメリカの民主主義については、なぜ国家は衰亡するのかを参考にして欲しい。

噛めば噛むほど味が出る書ではあるが、いささか難しい。

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法と立法と自由II ハイエク全集 1-9 【新版】法と立法と自由II ハイエク全集 1-9 【新版】
(2008/01)
ハイエク

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政治的なものの概念政治的なものの概念
(2000)
C.シュミット

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余の書評 政治的なものの概念

歴史の終わり〈上〉歴史の「終点」に立つ最後の人間歴史の終わり〈上〉歴史の「終点」に立つ最後の人間
(2005/05)
Francis Fukuyama、

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2008.08/11(Mon)

なぜ国家は衰亡するのか 

なぜ国家は衰亡するのか (PHP新書)なぜ国家は衰亡するのか (PHP新書)
(1998/10)
中西 輝政

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本書は国家の衰退の原因をといた上で、各国の国体を論じる。

トインビーの文明論を持ち出し、国家の衰亡は盛者必衰ではない、という。必ず滅んでしまう国家というものはないのである。全ての文明が同じように衰退するわけではない。また、外敵が侵入してきて滅ぶという例もない。国家、文明が衰退する原因は、自らの内にある虚ろなもの、であるという。

虚ろなものとはなにか。もっとも効率的で、健全な社会は、少数の指導者と、それに従う大衆の存在が欠かせない。指導者は大衆をコントロールするために、「わかりやすいもの」を創りだし、大衆を導く。しかし、時が経つにつれて、大衆をコントロールするための名目に、指導者自身が陥ることがある。こうなると文明は衰退する。まさに昭和初期の日本である。明治の政治家は、「日本は偉大な国である」と大衆を鼓舞していた。当然、国の欠点をよく理解した上で、「日本は完璧だ」と喧伝する。しかし、昭和になると、指導者自身がこの言葉を信じるようになる。完璧でないものを見て、完璧だ信じてしまう。

国に対して誇りと自信を持つのは構わないが、それはあくまで大衆でなければならない。指導者がそのようでは冷徹な判断など不可能。まぁ、今の日本では、指導者も大衆も、両方とも、国家に対し誇りも自信も持ってはいないだろう。余が恐れるのは、日本が「もう駄目だ……orz病」に罹ってしまっていることだと思う。これは、充分すぎる衰亡の原因。

日本が今大変なのは、一定程度成長した社会が衰退するという事態を、初めて経験しているからである。他の先進国は衰退の経験があるので、それほど慌てないのであるが、日本はこの世の終わりのようになってしまっている。ここで判断を誤ると、本当に日本が終わりかねない。


本書では「衰退とは単に経済が衰えることではない。むしろ、経済の活力を支えるより深い社会要因に生じる問題が衰退の原因である場合が追い」と説く。衰退とは精神の問題なのである。国家国民の精神の持ちようで、衰退か興隆かが決まると言っても過言ではなかろう。

日本は二院制の意味がない。ローマの元老院は人民の意を受けた民会の世論に基づく政治がつくり出す暴走をチェックするためにあった。イギリス、アメリカの上院もそういう役割を担っている。日本の貴族院も名目上はそのためにあった。しかし、今の参議院は民意丸出しで良しとしている。馬鹿である。

アメリカがどのように生き残っているか。アメリカは普遍をつくり出した。もともと、フロンティアを求めて西へ膨張していき、アメリカ大陸に行き詰まると、海を越えてハワイやフィリピンを占領した。しかし、国際世論の中、軍事力での支配が困難になると、経済で支配しようとする。しかし、経済も駄目になってきた。そこで、アメリカが考え出したのが、「民主主義」である。民主化の名の下に、世界に覇を唱えようとした。この理念はなるべく、抽象的で、実現困難なほど良いとされている。

日本の改革が全て上手く行かないのは、哲学的な理念がないからである。サッチャー・レーガン政権には哲学があった。福祉国家は経済的な面だけでなく、社会的に駄目だということである。「人に迷惑をかけない限りなんでも許される」社会は、価値観の多様化を生み出し、規範意識の混乱、犯罪の増加、家族の崩壊に繋がるという。保守革命とはなにか。無限の自由ではなく、規律を持つことによって人間の精神と社会は本来の活力を取り戻すという思想的一大転換を行った。だが、日本の場合は、思想の転換は行わずに、システムだけを小さな政府にしようとしている。上手く行くはずがない。貧乏になった人たちが自分で気付くのを待っているのだろうか? だとしたら、国家たり得ない国である。

議会は知恵の伝承の場であるはずだと、諸外国では思われている。統治の流儀というのを、議会を通して伝承していく。しかし、日本には一切そういう思想がない。民意の垂れ流しがよいとされている。この国はお先真っ暗である。

以上、様々な視点から国家、とくに、日本の衰亡の可能性が説かれている。みんながお先真っ暗だと思い、手当をしなければ、さらにお先は真っ暗になり、ついには崖から転落することになる。余はそれを避けたい。日本が煩う「もう駄目だ……orz病」である。この国が覇を唱えられるようにせねばならない。諦めたら負けだ。今こそ国家は一丸とならなくてはいけない。それも、大衆の自発的なものであることが望ましい。その基盤を政治家は創らねばならない。政治がもっとも難しい時期に来ている。あの馬鹿どもでつとまるか……?

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歴史の研究 1 (1)歴史の研究 1 (1)
(1975/11)
トインビー

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文明の衝突文明の衝突
(1998/06)
サミュエル・P. ハンチントン

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人間は進歩してきたのか―現代文明論〈上〉「西欧近代」再考 (PHP新書)人間は進歩してきたのか―現代文明論〈上〉「西欧近代」再考 (PHP新書)
(2003/10)
佐伯 啓思

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2008.07/18(Fri)

不正入札―公共事業に群がる業者たち 

不正入札―公共事業に群がる業者たち不正入札―公共事業に群がる業者たち
(2007/03)
加藤 正夫

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不正入札とは談合のことである。もと警備会社の社員で、実際の談合にかかわった著者が、その内実を明かす、かなり面白い書。

場面は警察の強制捜査から始まり、どうして、強制捜査にいたったか、それまでのいきさつが詳しく書かれている。領収書などから、政治家、役人、業者がどのようにして談合を行っているかが馬鹿でもわかるように書かれている。

諸賢のなかで、どうして談合が行われるのか不思議に思っている方は、是非ご一読を勧める。談合がいかに合理的であるかわかる。その合理性は、業者だけでなく、役人にも、政治家にもあることがわかる。

本書は談合サスペンスとでも言おうか、読み物としても普通に面白い。また、終章では、談合防止策の模索、談合の功罪も論じられている。

アメリカの談合事情も述べられており、余は談合が実に社会的、民族的なものであることがわかった。日本には力があるものがダンピングでもなんでもして、弱小会社を潰してしまおうという発想があまりない。誤解を恐れずに言えば、共生をめざした社会なのである。Winner takes allにあまり魅力を感じない社会性が存在しているような気がする。だが、今後、この国は必ず変わる。談合や共生は、生温いから行われていたわけではない。以前は、皆がそろって豊になる必然性があった。国を富ます必然性から共生が有意であった。しかし、国家の富が貯めるものから失うものへ転じるとき、共生などしてたらただの共倒れになるので、競争が生まれる。まさしく、「共生(談合)から競争(入札)へ」の社会である。

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談合破り!―役人支配と決別、命がけの攻防記談合破り!―役人支配と決別、命がけの攻防記
(2007/07/06)
桑原 耕司

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「談合業務課」 現場から見た官民癒着「談合業務課」 現場から見た官民癒着
(2005/08/24)
鬼島 紘一

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「脱・談合知事」田中康夫―裏切り談合知事は逮捕、談合排除知事は落選。 (扶桑社新書 7)「脱・談合知事」田中康夫―裏切り談合知事は逮捕、談合排除知事は落選。 (扶桑社新書 7)
(2007/02)
チームニッポン特命取材班

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2008.07/01(Tue)

「未来の学び」をデザインする―空間・活動・共同体 

「未来の学び」をデザインする―空間・活動・共同体「未来の学び」をデザインする―空間・活動・共同体
(2005/04)
美馬 のゆり山内 祐平

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まず教育とは、頭が良いとはなにか、のような問いに始まり、どのようにすれば、より有意義に、現代的に、学ぶことが出来るか、生きる力をつけることが出来るかを問う本。

本書は学習の空間から説き始める。学習は、空間によって左右される。ハモニカ型の校舎では現在のような学校教育が行われるのが必然であるし、オープンスペースでは、その空間を活用した学びが行われる。本書では図面付きでMITのメディアラボなどを紹介している。

学習とは学習の環境によって非常に左右される。言われてみればそんな気がする。

ちなみに日本の小中学校はハモニカ型校舎というのであるが、西側が教壇と黒板で、南側の窓から入る光が、鉛筆を持つ手の影を落とさない作りになっている。北側が廊下になっている。googleマップで調べたら本当に校舎は南側を向いて立っていた。大抵校庭は南側にあり、教室から見えるようになっている。立地上の条件で、北側に校庭を造らざるを得なかった校舎も、廊下は北側である。その場合、教室からは市街地を眺めることになる。

オススメ度: レベル2.5
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企業内人材育成入門企業内人材育成入門
(2006/10/20)
中原 淳荒木 淳子

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パフォーマンス・コンサルティング~人材開発部門は研修提供から成果創造にシフトする~パフォーマンス・コンサルティング~人材開発部門は研修提供から成果創造にシフトする~
(2007/07/25)
デイナ・ゲイン・ロビンソン/ジェームス・C・ロビンソン

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シンクロニシティ 未来をつくるリーダーシップシンクロニシティ 未来をつくるリーダーシップ
(2007/10/02)
ジョセフ・ジャウォースキー

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テーマ : 最近読んだ本 - ジャンル : 本・雑誌

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2008.06/29(Sun)

タイゾー化する子供たち  

タイゾー化する子供たち The Wandering Students (光文社ペーパーバックス)タイゾー化する子供たち The Wandering Students (光文社ペーパーバックス)
(2006/09/22)
原田 武夫

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タイゾーとは、衆議院議員の杉村太蔵氏のことである。余はこの本を、100円ショップの「ダイソー化する子どもたち」だと思って面白そうだと手に取った。違った。

子どもたちがタイゾー化するとはどういうことか。大した努力をしなくても、向こうから幸運が転がり込んでくると信じている子どもたちが増えたと著者は嘆いている。しかし、この本の趣旨は、子どもなどどうでも良く、いかにアメリカという国家が戦略的に日本国を無力化しようとしているかであり、得々と説かれている。

内容はいわゆる陰謀論で、ローマクラブとか、300人委員会とか、ロスチャイルドとか、影から大きな力が人類を支配しようとしている、という前提から書かれている。

余が捻くれているのか、人が人を支配しようと企むのは当たり前なことで、著者はさも重大なことのように語っているが、「そんな当たり前のことを」と思ってしまう。単純にいうと、アメリカが日本の国富をあの手この手で奪おうとしている、と著者は警戒している。そんなの当たり前のことではないか。どうして他人の富に目をつけないものがいるのであろう。況や国家をや。

著者は、小泉改革がアメリカに日本の国富を譲り渡したというが、余は違うと思う。改革開放路線は、なにも日本に限ったことではない。世界中が行っていることで、先進国でもっとも閉じた国は日本だっただけに過ぎない。

中国を見るといい。中国は開放路線まっしぐらで、外資を国内企業よりも優遇してきた。それが、巨大な経済発展に結びついたのである。今の時代、国内だけで何かしようとしたら、必ず衰退する。市場規模が違うのだから。世界の富を得ようと思ったら、世界に向けて国を開くしかないのである。世間に言えることであるが、小泉を悪者にして喜んでいては、真の問題を見誤る。日本は北朝鮮のようになる。

この本に記されているように、余も日本が頭脳無き国家では困ると思う。著者の言うとおり、日本人はエリートがなぜか嫌いである。本書ではこう書かれている。
「エリートの語源はフランス語の『選ぶ(élite)』従ってエリートの前提には選ぶ主体が存在する。エリートを選ぶのは日本国民であり、選ばれたエリートは日本国民のために奉仕する。この原則の前提は、選りすぐりのエリートが思考し、戦略的に行動することで、社会は国民全体のために良くなる、という社会工学的な発想がある。ところが、今の日本では、エリートが考え行動しても、結局は一部の特権階級の利益にしかならないから、まずはエリートの影響力をそぐことが第一、と社会工学的発想が否定される」

これが、どこの国でも積極的にエリートが活用されているのに、日本ではむしろ逆になってしまっている悲しい論理なのである。これは悪循環に陥る。国民はエリートの力を削ごうとし、エリートは国民に力を削がれないように、国民の力を削ごうとする。、制度的に残っているエリートシステムは、一層国民を搾取の対象だとしか見なさなくなる。そうした現状が起こっているのは事実なのだから、それが、アメリカの差し金だろうが、国民が愚かだからだろうが、関係ない。事実がわかった次点で改善する賢さが欲しい。

オススメ度: レベル3
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タヴィストック洗脳研究所タヴィストック洗脳研究所
(2006/03/18)
太田 龍

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300人委員会―「世界人間牧場計画」の準備はととのった!!300人委員会―「世界人間牧場計画」の準備はととのった!!
(1999/04)
ジョン コールマン

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ロスチャイルドの密謀ロスチャイルドの密謀
(2007/01/20)
ジョン・コールマン太田 龍

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2008.06/24(Tue)

教育三法の改正で学校はこう変わる! 

教育三法の改正で学校はこう変わる!教育三法の改正で学校はこう変わる!
(2007/11/08)
小島 宏/寺崎 千秋

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「ぎょうせい」が出版しているもの。教育基本法の改正に伴った思想的なものではなく、実務的なもの。例えば、学校評価制度の活用の仕方、とか、副校長・指導教諭・主幹教諭の役割とか、教育委員会の権限の移行、等、具体的に記されている。

実際の教職員が参考にする書物であり、一般人には少々硬すぎ、細かすぎかもしれない。旧法と改正がどのくらい違っているのか知りたい方には、思想面での補助的な役割を果たすと思うので、読んでも損はない。160頁と全体的に少ない。

オススメ度: レベル4
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教育の力―「教育基本法」改定下で、なおも貫きうるもの (岩波ブックレット NO. 715)教育の力―「教育基本法」改定下で、なおも貫きうるもの (岩波ブックレット NO. 715)
(2007/12)
安積 力也

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教育法規これだけはやっとこう 2009年度版 教育基本法教育―教員採用試験 (2009) (教員採用試験シリーズ 371) (教員採用試験シリーズ 371)教育法規これだけはやっとこう 2009年度版 教育基本法教育―教員採用試験 (2009) (教員採用試験シリーズ 371) (教員採用試験シリーズ 371)
(2007/12/01)
教員採用試験情報研究会

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改定教育基本法どう読みどう向きあうか (かもがわブックレット (164))改定教育基本法どう読みどう向きあうか (かもがわブックレット (164))
(2007/03)
浦野 東洋一佐藤 広美

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テーマ : 教育問題について考える - ジャンル : 学校・教育

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2008.06/22(Sun)

公教育の未来 

公教育の未来公教育の未来
(2005/05)
藤原 和博

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この本は終章をまず最初に読んだ方がいい。終章には著者である藤原和博氏の思想が、いささか簡潔すぎるくらい簡単に書いてある。これを前提にしないと、いったいどうして公教育改革を行おうとしているのかがわからなくなる。

一言でいえば、藤原氏の教育の目標は「市民」をつくることだ。学校の目標も「自立と貢献」だという。もう、国家が人びとの幸せを規定して、一億総火の玉になって、国家のめざした目標に突っ走る時代では無くなった。というわけだ。これからは、一人一人が異質性を理解し、自らが主体的に幸福を追い求めるひつようがある。らしい。

余はこういった、新しい価値観を押しつけることは、逆に窮屈にしてしまうので嫌いだ。昔、匿名性の高いプロクシが重宝されて、ランクに分けられるのだが、格言みたいなかんじで、「もっとも優れた串は、串であることがわからない串である」というのがあった。教育も統治も同じであろう。「もっとも優れた統治とは、統治している(されている)ことがわからない統治である」統治者には、是非これをめざしていただきたい。

わけのわからぬ思想を抜きにしても、本書は面白い。例えば、学校の無力化、衰退を取り上げる。70年代のある時期から、学校や教師はありがたいものではなくなった。では70年代になにが起きたのか。「全体として、親の学歴が、教師のそれを越えてしまったのである」と藤原氏は言う。なるほどと思った。いま思い返してみると、小学校の教師はバカ揃いだし、大学で教師になりたがる奴は、倒錯した情熱を抱いていた。せめて、校長くらいまともなものがならなければ、学校・教師が信用されなくて当たり前。

藤原氏は、「教師をめざす人間はバカだけれども、真面目で情熱家である」と言っているが、少なくとも、余が知っている範囲で教師になりたがっている人間は純粋なルサンチマンを抱いているようなやつばっかりだった。

オススメ度: レベル3.5
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親と子の[よのなか]科   ちくま新書親と子の[よのなか]科 ちくま新書
(2002/05)
藤原 和博三室 一也

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世界でいちばん受けたい授業―足立十一中『よのなか』科世界でいちばん受けたい授業―足立十一中『よのなか』科
(2001/10)
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中学改造 学校には何ができて、何ができないのか中学改造 学校には何ができて、何ができないのか
(2002/06/18)
藤原 和博櫻井 よしこ

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2008.06/21(Sat)

私の愛国教育論 日本国民の富と誇りを守るために 

私の愛国教育論 日本国民の富と誇りを守るために私の愛国教育論 日本国民の富と誇りを守るために
(2005/02/16)
和田 秀樹

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2005年に出版されている。ネット右翼がもっとも華やかなりしころ。いまや、ネット右翼も、右翼も下火になった。というよりも、冷静な目線になってきたのではなかろうか。もしくは燃えたぎるのがバカらしくなったか。極端に左でもなければ、右でもない。関係ないかも知れないが、いま思い返すと、小泉人気と国粋的盛り上がりは被っていた。小泉という首相は国民に承認を与えたといえるかも知れない。国粋的盛り上がりを考えるとき、為政者の資質は切り離せない。

おそらく読者は、二度驚く。本の内容の余りのバカさ加減で一度。そして、著者の高学歴を見て一度。東大医学部なのにこんなにアホなの!? 本書では、こんな見出しが続く。「アメリカに対しても日本人の誇りをもて」「国のために自分を犠牲にできるか」「日の丸君が代を大切にする人間に育てる二つの鍵」などなど、一見しただけでアレルギー反応を起こす人もいるかも。

しかし、意図的に世論に迎合しているとしか思えぬ節がある。例えば41ページで「少年犯罪が増えた」と嘆き持論に有利になるように使う。もちろん、これは嘘で、少年犯罪は減っている。本人が112ページで「統計的には少年犯罪は増えていない」と暴露している。極端な右翼的姿勢も、おそらくは世論に迎合するようにわかっていて書いている。本人はさらさら右翼的な気など無いのではないか? と疑いたくなる。当時だから許された言説で、いまこんな事を言っていたらアホすぎる。

というのも、この本、後ろに行けば行くほど、過激さが減ってきて、まともになってくるのである。まるで別人が書いている感さえ否めない。

本書で「日本企業が、中国や韓国の企業との競争に敗れ、日本企業が彼らの資本に呑み込まれたとする。その時、彼らが忠誠心を試すつもりで、日の丸君が代を排斥してきたときに、出世の妨げや、首になろうとも、日の丸君が代を守れるだけの誇りをもった人間をどれだけ育てられるか」という問いが出てくる。

これの解は知らないけれども、時々、君が代を歌わなかったりして、懲戒される教師がいる。余は、「日本国の教師なのになんとけしからん連中であるか」と不愉快でもあったが、上の問いを読み、「なんと信念を持った連中であるのか」と、その是非はともかくとして、ちょっと見直した。

余が中国企業から禄をはむようなこととなり、上記の問いが起こったとき、はたして、処分された教師どものような信念ある行動がとれるやら。

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情動と感情の教育学情動と感情の教育学
(2000/08)
坂元 忠芳

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教育理念の再生 (日本の教育改革をどう構想するか 民間教育臨調の提言)教育理念の再生 (日本の教育改革をどう構想するか 民間教育臨調の提言)
(2005/12)
金井 肇西澤 潤一

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「愛国心」の研究 (シリーズ「教育改革」を超えて)「愛国心」の研究 (シリーズ「教育改革」を超えて)
(2004/02)
柿沼 昌芳永野 恒雄

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テーマ : 最近読んだ本 - ジャンル : 本・雑誌

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2008.06/07(Sat)

フリースクールとはなにか―子どもが創る・子どもと創る 

フリースクールとはなにか―子どもが創る・子どもと創るフリースクールとはなにか―子どもが創る・子どもと創る
(2000/07)
東京シューレ

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いかにせん情報が古いので、当時を探る参考程度に。

前半で、フリースクールとはなにか、という問題をとりあげて、東京シューレが考えるフリースクールを定義する。残りの半分は、東京シューレ内の紹介である。

フリースクールとは、なんだか、不登校児を収容する施設のようであるが、本来は、国策教育から独立して教育を行う学校という意味合いである。

いまでは、塾産業がフリースクールを名告りだした、と本書では嘆いている。塾に、「どうしてフリースクールを名告るのですか?」と聞いたら、「親御さんにウケがいいからです」という答が返ってきたそうな。商魂たくましい。

シューレの説明ではこう書いてあった。
「いわばシューレは、国立・公立という言い方をするならば、親立でつくりだしている草の根のフリースクール」
なかなか面白い。教育熱心な親が集まって、金を出して、自分たちの要求する教育を実現させていく。決して学力だけを求めるのではなく、模索的な要求を具現化していこうとするところがいい。

現在の日本では国家公認の学校が普通であり、フリースクール、または塾のようなところは一段と低いところに置かれている。しかし、グローバル化となり、国家の価値が低下すれば、国家の公認する学校もまた価値が低下すると思われる。その時に、本当の教育を担う機関はどこであるか、今一度考えてみなければなるまい。

後半のシューレの説明は10年近く前の情報なのでここでは述べない。HPを参考にされたし。
http://www.shure.or.jp/

オススメ度: レベル2
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《参考・関連図書》

小中高・不登校生の居場所探し 2008~2009年版―全国フリースクールガイド (2008)小中高・不登校生の居場所探し 2008~2009年版―全国フリースクールガイド (2008)
(2008/03)
学びリンク編集部

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フリースクールガイド 2008~2009年版―居場所が見つかる! (2008) (もうひとつの進路シリーズ)フリースクールガイド 2008~2009年版―居場所が見つかる! (2008) (もうひとつの進路シリーズ)
(2008/02)
学習研究社

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子どもは家庭でじゅうぶん育つ―不登校、ホームエデュケーションと出会う子どもは家庭でじゅうぶん育つ―不登校、ホームエデュケーションと出会う
(2006/01/15)
東京シューレ

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テーマ : 不登校 - ジャンル : 学校・教育

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2008.06/04(Wed)

自殺の思想 

自殺の思想自殺の思想
(2005/07/26)
朝倉 喬司

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題名通りの書。先日紹介した自殺対策ハンドブックでは、過剰死亡(本来自殺する必要がないと思われるのに、自殺してしまう死亡)をいかに減らすか、を論じていた。本書は、過剰死亡ではなく、死するべくして死んだもの達の思想が縷々述べられている。また、岡田有希子現象など、ある人物の自殺がどのような社会背景を象徴しているのか、人びとの考えにどのような影響を与えるのか、などを分析している。

なぜ、自殺がかくも異常なことのように論じられるのか。生の権力が介在しているという。もともと、フーコーの思想だ。以前の権力は生殺与奪の権力だった。しかし、国民国家、国家総力戦のような状況に地球がなってくると、国家は国民を管理して、有効に使用しなくてはいけなくなる。日本で厚生省が出来たのは省は昭和13年。まさに、全面戦争に突入する時である。

ではここで、生の権力を持つものは誰か、という話になるが、昔の王様のような権力者は現代にはいない。一体、我々は誰に支配されているのか? それは、一人一人の振るまいが、権力を創り出している、とフーコーは考える。

ここに、時代の新たな変遷を読み解くことは可能では無かろうか? 余は可能だと思う。以下は余の考え。

現在、自殺は悪だと思われている。しかし、なぜ悪であるかの明確な根拠はなく、法で以て規制されているわけでもない。日本人はキリスト教徒でもない。ただ、人びとの振る舞ってきた暗黙の了解が、自殺を悪としているのである。それは、国民国家的な協力関係を必要としてきた時代だったからこそ、有効であったとするならば、現在のグローバル化、国家国籍を離れた場所に於いて、つまり、同一性、ナショナリズム、社会的連帯感が切り離されたところで、誰が、誰の死を咎めるというのだ? また、誰が誰の死を悲しむ? 近い友人の中に、その感情は起こりえるが、世論としてのうねりは、過去の残滓に過ぎず、いずれは限りなく減少するであろう。

完全自殺マニュアル

オススメ度: レベル3.5
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《参考・関連図書》
図説 自殺全書図説 自殺全書
(1997/04)
マルタン モネスティエ

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フーコー・コレクション〈1〉狂気・理性 (ちくま学芸文庫)フーコー・コレクション〈1〉狂気・理性 (ちくま学芸文庫)
(2006/05)
ミシェル フーコー

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完全自殺マニュアル完全自殺マニュアル
(1993/07)
鶴見 済

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テーマ : 生き方 - ジャンル : ライフ

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2008.04/09(Wed)

実感なき景気回復に潜む金融恐慌の罠―このままでは日本の経済システムが崩壊する 

実感なき景気回復に潜む金融恐慌の罠―このままでは日本の経済システムが崩壊する実感なき景気回復に潜む金融恐慌の罠―このままでは日本の経済システムが崩壊する
(2007/06/15)
菊池 英博

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菊池英博の本は面白い。テレビや新聞で支配的な意見の逆をいっているからである。

著者はゆうちょ銀行、かんぽ生命のいわゆる郵政民営化は完全な誤りだ論じる。このことによって、どのような弊害がもたらされるのかを説く。国債価格と長期金利の関係、長期金利と評価額の関係、評価額と自己資本比率の関係、信用収縮、リスクアセットの圧縮、果ては金融恐慌。郵政民営化から、金融恐慌まで、風が吹けば桶屋が儲かる的に繋がっていることが分かる。

次ぎに、氏は構造改革は失敗だと論じ、全く景気に反映されていないし、返って国力は弱まったと説く。さらに、政府発表のデタラメも喝破する。小泉は2003年の総裁選の10日前に、内閣府発表のGDP速報値を改竄、恰も構造改革の成果が出ていると喧伝した。

しかし、いまや、構造改革、いざなぎ以来の景気拡大は嘘というのは、万人が知っていることであろう。数値的に言うと、2000年度298兆円あった国民の手取りは、2005年度には283兆円と15兆円減っている。1一方貯蓄は、2000年度23兆円あったのが、2005年度には6兆円と17兆円減っている。国民は貯金を取り崩して生活に当てていることが分かる。貯金がなくなれば、もはや今までの豊かさを維持することは叶わなくなるであろう。2008年、そろそろ現れてくるのではないか? すでに現れているか?

ペイオフも非常に危険だという。メガバンク三行体制は誤りで、銀行つぶしは間違っていた。日本はオーバーバンキングだと言われいるが、実際はショートバンキングである。独立銀行の数をGDPで割ると、アメリカは日本の二倍。ドイツは日本の五倍。イギリスは日本とほぼ同数だが、ペイオフが実施されたことは一度もない。銀行が二倍あれば、同じ金額でも返ってくる額は二倍だ。日本では銀行に限らず「自己責任で選択する」などとほざいているが、そもそも、選択肢にどのようなものが準備されているのか、それが問題なのである。

このほかにも、銀行の株式保有は問題である。アメリカを見習おうとしているはずの日本が、アメリカと逆のことをやっている。日本は1983年の銀行法改正で銀行本体で株式売買が認められるようになった。しかし、これが、株価の暴落と信用収縮が連動するようになってしまい、悪循環がおこる。等々。アジアアフリカの後進国ならいざ知らず、先進国でこんなデタラメをやっている国は日本だけだという。

このほかにも最近の金融経済情報が満載で、色々な建設的提言もなされている。内容は普通に難しい。経済初学者は覚悟して読んだ方がいい。余も苦戦した……。


オススメ度: レベル4.5
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関連書評
増税が日本を破壊する

《参考・関連図書》
増税が日本を破壊する増税が日本を破壊する
(2005/11/18)
菊池 英博

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銀行の破綻と競争の経済学―BIS規制からの脱脚銀行の破綻と競争の経済学―BIS規制からの脱脚
(1999/09)
菊池 英博

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テーマ : 政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル : 政治・経済

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2008.03/30(Sun)

暴力の考古学―未開社会における戦争 

暴力の考古学―未開社会における戦争暴力の考古学―未開社会における戦争
(2003/08)
ピエール クラストル

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全く題名の通りの論文である。半分が論文、半分がその論文の解説という構成。

非常に読みにくい本である。未開社会に対するある程度のリテラシーと、構造主義的な社会観の概念がないと意味不明になる。

未開人がどのような理由に基づいて戦争をするのか、という命題を扱う。

これまで、未開人の戦争は狩猟の延長のように言われてきた。経済的な理由からの戦争も、狩猟の延長と同意義であろう。だが、クラストルは違うという。

「戦争が人間を目指した狩猟であるというなら、狩猟は野牛を目指した戦争でなければならない。あり得ないことだ」

未開人の戦争は物質的と言うよりも、精神的なものであると彼は言う。未開社会は、個々人が全て平等であることが前提とされている。つまり、分化しない社会である。分化しないとは、統治者と、被統治者に別れてはいけないという意味である。そして、他の共同体に依存しない社会であることである。

極言してしまうと、未開社会に於いて、戦争で勝利して支配するという発想はない。戦争はあくまで共同体のアイデンティティーを維持することにこそ主眼が置かれる。内をまとめるために、敵を作る、とでも言えばいいか。

我が国にも、アイヌ民族の哲学として、「求めぬことこそ幸福なれ」という言葉があるが、未開社会の幸福も、富むと言うよりは、持続する現在を重視しているともいえる。だから、未開社会の首長は命令しない、命令しないためにそこにいる、絶えず、過去を参照する存在である。首長はリーダーシップとは無縁の存在でなければならない。また、権威としてのゲバルトを持たないことも、権力を行使しない要因の一つといえる。

未開社会は統合化を恐れる。一人一人が平等であることを大切にする。しかし、考えてみれば、これは自然なことのように思う。好き好んで支配されたがる人間はいないだろう。そうすれば、自ずと、平等であるべき社会を形成せざるを得ない。今の先進国のように、溢れる物質の豊かさで統治を韜晦するのでなければ、未開社会の状態こそ、人間らしいといえる。


オススメ度: レベル3
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参考図書
国家に抗する社会―政治人類学研究 (叢書 言語の政治)国家に抗する社会―政治人類学研究 (叢書 言語の政治)
(1989/06)
ピエール クラストル

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大いなる語り―グアラニ族インディオの神話と聖歌大いなる語り―グアラニ族インディオの神話と聖歌
(1997/01)
ピエール クラストル

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テーマ : 読書メモ - ジャンル : 本・雑誌

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2008.03/13(Thu)

都市と緑地―新しい都市環境の創造に向けて 

都市と緑地―新しい都市環境の創造に向けて都市と緑地―新しい都市環境の創造に向けて
(2001/01)
石川 幹子

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公園の歴史、人類と公園の関係。様々な種類の公園の出来上がる経緯。そういったものがつらつら書かれている。ニューヨーク、パリ、ロンドン、ドイツ、ボストン、シカゴ、各都市の公園と住民の関わり方が詳細に記されている。日本については、別に章立てされており、明治から現在の公園、緑化、、緑地思想の揺らぎにいたるまでが書かれている。

最近、余も環境にはまっているわけであるが、ここ近年、世界の環境熱は加速度的に上がってきたといえる。当然、公園緑化にも強い関心が示されるわけである。

緑化思想とは最近の産物である。20世紀初期までは、自然はいくら破壊しても問題ないと人類は考えていた。産業が発達する前の人類は、どれほどあがいてみたところで、地球に影響を与えるほど自然を破壊することが出来なかった。

しかし、甚大な力を手に入れてしまった人類は、自然を破壊し、地球をも滅ぼす行動が可能になった。実際、至る所で自然は破壊されて、人類の暮らしにも影響を与えるようになった。そこで、初めて人類は自然を守るという選択を取らねば、不都合が起こるという事態に陥った。

緑化とは、擬似的で人為的な自然である。本来の、人間が全く手を触れていない未踏の自然と、緑化思想の自然とは意味を異にする。我々が自然と呼ぶものは、前人未踏の未知の自然などではなく、「この部分は自然である」と我々が名指した、人工的な自然、に他ならない。セントラルパークなどは荒野に作られた緑地である。

本書では、都市における緑地確保の方法は大きく分けて三つあるという。
一つ目は、封建時代のストックを使う方法。庭園や狩猟地の解放
二つ目は、新大陸アメリカのように、何もないところで、都市計画と緑地計画が併行して行われる方法。
三つ目は、既存の都市の改良ではなく、郊外に新たに都市を造り、自然との調和を図ろうとするもの。田園都市である。

公園を綺麗に整備すると、周辺の土地の値段が上がるとか、公園を防火帯として、都市の火災に対処するとか、日本は江戸時代から公園を作って庶民に開放しているだとか、様々な公園に関する雑学を得られる。

とにかく、マニアックなので、よほど興味があるものでないと、ついていけない嫌いがある。余は公園の専門家でもなんでもないので、簡単に言うことは憚られるが、それでも、本書はなかなかの良書だと思う。

オススメ度: レベル4
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テーマ : 環境・資源・エネルギー - ジャンル : 政治・経済

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2008.02/26(Tue)

現代社会の理論―情報化・消費化社会の現在と未来 

現代社会の理論―情報化・消費化社会の現在と未来 (岩波新書) 現代社会の理論―情報化・消費化社会の現在と未来 (岩波新書)
見田 宗介 (1996/10)
岩波書店
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1996年に書かれたもの。まったく色褪せない。余が先日買ったものは24刷、2006年発行である。

構成も秀逸である。情報・消費・環境・資源・貧困を巧みに関連づけ、循環するように語る。上に挙げた五つの事柄は、一見するとバラバラの現象であるが、現代社会視点から論じると、一つの現象でしかないのである。これらの問題がまとまって、現代社会という現象が起きているといっても良いかもしれない。

我々は近代を乗り切れたわけではないが、ポスト近代という思想を打ち立てた。ポストモダンとは、言ってしまえば、アンチモダンである。近代が是としたことを否とする思想である。本書にもポストモダン的視点は多々出てくる。冒頭の言葉はこうだ。

現代社会は、近代社会一般とは区別されるような、新しい時代を展開する。

近代社会とは、思想面では個人の解放、自由、平等、など。物理面では、自然を征服し、人々の暮らしを豊かたらしめ、資本化、合理化、などを推進するものとされる。しかし、現代社会は、もはやそれだけでは回らなくなってきたというところに注目する。

では現代社会の特徴とは何だろうか。
本来消費とは、必要によってもたらされるものである。だが、生産が必要を追い越せば、必要だけではものは売れない。必要以上のものを買わすには何をすればいいのか? 情報である。広告、宣伝という情報を流し、必要でなくとも、必要であると人々に錯覚させることが肝要となる。商品に魅力を与え、消費を欲望するようにし向けなくてはならなくなる。これが、悪いと言っているわけではないのだ。大衆が消費し、欲望を満たすことは、資本、生産側の欲求を満たす。大衆が資本の再生産過程の一環に組み込まれているからといって、不幸というわけではない。もし幸福ならばそれでも全然構わない。蜜蜂が花の蜜に誘われて、レンゲやナタネの生命再生産過程の一環に組み込まれているからといって、不幸なわけではない。ただ、我々の資本再生産過程は、蜜蜂と花のようにサステイナブルなものなのであろうか? また、花の蜜を運ぶ蜜蜂ほど、幸福なものなのであろうか?

話は環境に移る。環境と経済なんて関係あるのか? 例として、マメコガネムシをあげる。マメコガネムシは作物に被害をもたらす害虫として、徹底的に農薬が散布され殺された。しかし、死んだのは虫だけではなかった。リスや鳥も死んでしまった。鳥は虫の最大の天敵だったにもかかわらず。で、ここからが重要。引用する。

「害虫を防御するという一つの必要のための方法が、自然の鳥たちの手から離れて、商品経済のシステムの中に引き入れられる。つまり、ここでもまた一つの巨大な『マーケットが開拓される。』これは〈根元的独占〉という名で、イヴァン・イリイチが呼んだメカニズムである。伝統的な意味の『独占』は、一つの企業が、(あるいはごく少しの企業が、)市場から他の企業を排除することをとおして、企業の競争の自由を否定する。〈根元的独占〉は、商品システムというものが、必要を充足するための他の方法を排除してしまうことをとおして、生活の仕方を選択する自由を否定する」

天敵である鳥がいなくなってしまえば、農家は嫌でも農薬を買わねばならないのだ。このような例は他にいくらでも起こっている。例えば、薬が年々効かなくなる我々の体も、このシステムに組み込まれている。自然治癒が出来なくなり、薬に頼らざるを得ない。薬はさらなる薬を呼ぶ。資本主義のシステムもそうだ。回したくなくても、回さねばならぬシステムが出来上がってしまっている。これを念頭において、次の貧困に移って欲しい。

「貧困は金銭を持たないことにあるのではない。金銭を必要とする生活の形式の中で、金銭を持たないことにある」と著者は言う。これはどういう意味か。

我々は「世界には一日に1ドル以下の所得しかない人が12億人いる」とある種の憐憫の情を持って語ることがある。そして、善意でこれを救わねばならないと考える。このことがすでに、資本主義の詭計に陥ってしまっているとは知らずに。

著者は中国南部の少数民族、ヤオ族の例を出す。ヤオ族は百歳を越えても元気な人が多いことで知られている。長寿の秘訣は「悩みがないこと」。温暖な気候と汚染のない空気。食べ物が自然で低脂肪・高栄養価。畑仕事で体が鍛えられて飲酒、喫煙率が少ない。悩みがなくて百歳くらいまで元気というのは、幸福と考えて良いだろう。彼らの年収は四千八百円。一日0.13ドル。

アメリカインディアンもそう。アフリカの土人もそうである。彼らの土地を開拓し、工場を建てて、一日に1ドル以上消費させようとした瞬間に、彼らは多くの幸福の次元を失ってしまう。だが、資本主義は「1ドル以下の不幸な人間を救うため」という虚言を弄し、善良な先進国の民を騙し荷担させ、非資本主義のなか暮らしている住民から摂取を行う。

ドミニカの耕地をサトウキビ畑に変えてしまった。確かに原住民には1ドル以上の給与を支払ったとしても、そこで、彼らは自由な耕作が出来なくなった。このままではまずいと、原住民達が契約を破棄して、自分たちの作物を作ったら、軍隊がやってきて作物を全部ぬいてしまった。つまり彼らは、サトウキビ畑で働き、そこで得た貨幣を使って食料を買う以外に、食料を調達する手段を失った。貨幣を稼ぎ、貨幣を使用してしか生活が出来なくなってしまったのである。著者は言う。「彼らが以前より、貧しい食物しか手に入れることが出来なくなっても、彼らは統計上所得を向上させたことになる。一日1ドル以上という貧困のラインから救い上げられた人口の統計に入るかも知れない」

日本も一歩間違えれば、ドミニカのようになっていたかも知れない。豊かさと引き替えに、過去幸福とされていたものの多くを失ったのは事実である。日本は幸い資本主義的豊かさを失わずに済んだからよかったようなものである。資本主義的豊かさと、その他の次元の幸福を両立することは可能なのであろうか。他国から資源の摂取という形をつかえば、可能かも知れない。その他の形では?

本書は最後の、情報化/消費社会の転回で締めくくる。この章は非常に哲学的である。簡単に言うと、魂の充足を求めるのである。生産、消費という分かりやすい幸福を追求する限り、資源の問題や、他社会からの摂取は必然とならざるを得ない。しかし、魂の充足のための、例えば、美しい絵画や、詩などは、資源の消費量に比例せず、人々に感銘を与える。

しかし、余はこれはかなり難しいと考える。不可能だと思う。金銭や所有物の多寡は他者と比較して得られる幸福であり、芸術的感動は、内面幸福だからである。同じ幸福と一言で言っても、比較幸福と、内面幸福は別物ではなかろうか。例えば、いくら金を持っていても、友達が一人もいない、とか言うのはあまり幸福とはいえない。内面的に充足していないからである。友達がたくさんいても、その友が皆金持ちになってしまった場合、なお友でいつづけることが可能であろうか? 比較幸福の原理である。友人関係に、似通った地位のものが多いのは、比較して安心を得るためである。資本主義が世の中を不幸にしているのは、人々の財貨の多寡を加速させたからだ。平等という前提のもとの格差が、相対的剥奪感を産んでいるのである。

そう考えると、身分制を作った過去の人類はなかなか頭が良かった。同じ身分であるということが前提であれば、相対的剥奪感は減少するからだ。大君が非課税で代々東京の一等地におはしますことを誰が批難しよう。我々はむしろ喜びすら感じる。しかし、隣のリーマンの家が自分ちより少しでも立派だと面白くない。人類は身分制を破壊してしまった。ならば、全員が同じような地位を得られるようにしなければ、不幸だけが残ってしまう。

あわせてご覧くだせう。
排除型社会―後期近代における犯罪・雇用・差異

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神

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テーマ : それでいいのか日本国民 - ジャンル : 政治・経済

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2008.02/07(Thu)

政治的なものの概念 

政治的なものの概念 政治的なものの概念
C.シュミット (2000)
未来社
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昔のことを思い出した。余は政治家になろうと思って、某衆議院議員事務所を訪ねた。その時、衆議に「君、政治とは何かね?」と聞かれた。政治とは何か、というのは、それこそ、芸術とは何か、という問に匹敵するくらい、色々と言われているものである。つまり、衆議は余がどういった解に傾倒しているのかを知りたかったのだろう。余はこう答えた。
「はい、政治とは敵を作ることであります」
衆議はどうも気に召さなかったようだ。「おれは対話することだと思っている」と答えられた。

はっきり言ってかなり難しい本。内容が難しい上に、おそらく訳が拍車をかけている。これが訳されたのが1970年。この付近の訳書は、格調高いかわりに難しい。どこまでが主語で、どこからが述語かわからない。外国語を訳すように、andで繋がった部分を探したりと、えらい暇がかかった。

内容は、題名の通り、政治的なものとは何か、というものを明らかにして、経済が支配する時代、国家や戦争が解体されてもなお残る、政治的なもの、を浮き彫りにしようと試みているもの。

シュミットは民主主義についても一言持っている。というより、民主主義というものを抜きにしたら、この書は陳腐きわまりないものとなる。シュミットは言う。18世紀までは社会と国家は分離していた。社会の上に国家が君臨していた。社会と国家が浸透し合うという表現を用いて、民主化を分析する。民主化された共同体に於いては、国家的なことが則ち社会的なことであり、社会的なことが取りも直さず国家的なことになる。民主的共同体に於いては、宗教、教養、経済等が中立であることをやめてしまう。こういった国家を全体国家(全体主義とは違う)と呼ぶ。つまり、全体国家に於いては、政治的なこととは国家を指すものではなくなる。

全体国家(当然、現在の日本も全体国家と呼べる)では国会や政治家が行っていることだけが、政治的なことではないという意味だ。最近で言えば、食品や道徳も、政治的な意味を持つことになる。

でも、それだと、全てが政治的になってしまい、また無意味な定義に陥ってしまう。そこで、シュミットは「友・敵」という概念を持ち出す。道徳の定義が「善・悪」、経済の定義が「利・害」であるように、政治は「友・敵」で出来ているという。政治的なもの、例えば18世紀ならば、王家と王家、の友・敵関係、全体国家のなかでは、国家と国家の友・敵関係、もしくは、内戦という形で友・敵が形成される。友・敵関係が形成されれはそれは政治的な意味を持つと言うことだ。冷戦下では東西か。いずれも、集団対集団でなければならない。個人的なことは政治的なことたり得ない。戦争を取り上げ、
「戦争とは、経済的、道徳的対立が政治的対立にまで高まり、友・敵という闘争結束を招来するものである。そこでは、もはや純経済的、純道徳的な対立はなく、政治的対立がある。問題はどこまでも友・敵結束が現実的可能性、ないしは現実性として存在するか否かであって、人間的動機は問題ではなくなる」

もちろん、友・敵関係は戦争だけではない。第二次大戦を経験した我々とすれば、経済で全ての片が付くとは考えていない。それでも、経済がもつ権力が国家間にいかに重要かは理解できる。シュミットも、そういった経済を政治的なものと呼び、戦争の代わりに、信用の停止、原料封鎖、経済制裁等を政治的な友・敵関係としてもちだす。「戦争」という言葉を用いないで、「批准・処罰・執行・平和化」と呼ぶ。「敵」という言葉を用いないで、「悪の枢軸・独裁者・テロリスト」と呼ぶのは欺瞞であり、新たな「友」の形成の仕方に過ぎない。我々は日本政府やブッシュが、フセインや金正日を独裁者とかテロリストと呼ぶのを欺瞞と見抜いているが、シュミットはこの時点から問題視していたのだ。いつの時代も政治的にあるものは友・敵だ。

北朝鮮は我々から見て悪である。しかし、ただ、悪い悪いと叫んでいるだけは問題は解決しない。いかに、国内的に、国際的に友・敵関係を構築し、最終的に勝利するかを考える必要がある。

シュミット曰く。
「この『友・敵』区別をなしえず、ないしはなしたがらないことが、政治的終末の徴候として現れる。ロシアにおいては、没落していく諸階級が、革命のまえに、ロシア農民を、善良、勇敢かつキリスト教的な帝政農民であると美化した。フランス革命の前には、フランス貴族社会が「天性善なる人間」を夢想し、感動なまでに有徳な民衆を夢想した。すなわち、特権者達は革命の匂いさえかぎつけていなかった。1793年が、もう足下に来ていたというのに、民衆の善良さ、純朴さを口にしていたさまは、見るも奇妙である」

この書は戦前に記された。が、敗戦後の日本国民に向けたような言葉が載っている。

「無防備な国民には友しか存在しない、と考えるのは、馬鹿げたことであろうし、無抵抗ということによって、敵が心を動かされるかも知れないと考えるのは、ずさんきわまる胸算用であろう。人々が、あらゆる美的ないし経済的な生産性を断念することによって、世界を、たとえば純道徳性の状態に移行させうるなどということは、誰一人可能だとは思うまい。しかし、はるかにそれ以上に、一国民が、あらゆる政治的決定を放棄することによって、人類の純道徳的ないし純経済的な状態を招来することなどはありえないのである。一国民が、政治的なものの領域に踏みとどまる力ないしは意志を失うことによって、政治的なものが、この世から消え失せるわけではない。ただ、いくじのない一国民が消え失せるだけに過ぎないのである」


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2008.02/03(Sun)

超入門 自治体財政はこうなっている 

超入門 自治体財政はこうなっている 超入門 自治体財政はこうなっている
肥沼 位昌 (2002/12)
学陽書房
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超入門と銘打ってある。中身は結構難しい。少なくとも、超入門ではない。入門でもなかろう。そもそも、自治体職員とか、そういう専門職のために書かれた本だと言っても良いかもしれない。証拠、一問一答形式なのであるが、自治体職員から出ている質問が多い。例えば、「施策別の行政コストはどのように把握するの?」とか「計画と予算の短期の調整とは?」とか「事務区分と財源の関係はどうなっているの?」等々である。超入門者がこんな質問するかぁ?

説明もまた小難しい。もし、余がこの本に題名をつけるとするならば、「中~上級・自治体財政はこうなっている」かな。

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テーマ : 地方自治 - ジャンル : 政治・経済

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2008.01/27(Sun)

新しい階級社会 新しい階級闘争 [格差]ですまされない現実 

新しい階級社会  新しい階級闘争    [格差]ですまされない現実 新しい階級社会 新しい階級闘争 [格差]ですまされない現実
橋本 健二 (2007/10/24)
光文社
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表紙の六本木ヒルズが内容を雄弁に語っている。著者の格差社会に対する憤りが溢れる良書。著者は格差社会とは言わない。階級社会という。それも、新しい階級社会だ。格差社会などは小泉ではないが、それこそ、いつの時代、いつの世にも存在する。階級社会も以前存在していて、マルクスが激しく批判した。では、著者の言う「新しい」とは一体何が新しいのか。マルクスは労働階級と資本階級がぶつかり合うことによって、社会は発展し、歴史は進歩すると考えた。しかし、新しい階級社会では、労働階級と資本階級が摩擦を起こして社会を発展させることはない。歴史の終わりともちょっと違う奇妙な形態が日本を襲っている。著者は言う。
「現在日本に始まりつつある新しい階級闘争は、言い訳、ぼやき、八つ当たり、行き場のない不満や怒り、残忍な犯罪である。これらの階級闘争は社会を変革したり進歩させたりするよりは、むしろ、人々の間に不信を生み出し、社会全体を疲弊させる」

なぜ、かくのごとき新しい階級社会になってしまったのか。それは、もはや、資本階級、労働階級などと、単純に分けられなくなったところに問題があると著者はいう。新中間層が、労働者を搾取する構造が出来上がった。例えば、同じ工場で同じことをやっていても、正社員と派遣では給料が三倍違ったりする。こんな搾取が容認されていては決して良い社会とは言えない。正当な再分配が行われなければ、いずれ社会は滅ぶ。

以下は本書を読んで、余が感じたことであり、著者が直接述べているわけではない。

では、正当な再分配とはなんなのか? 余は今現在の再分配は、それなりに妥当であると考える。なんとなれば、階級闘争が起きていないからである。真に妥当でない搾取が行われているのであれば、いくら淑やかな日本人とはいえ、暴動の一つや二つは起こすだろう。

余は思う。暴動が起これば、良い方である、と。恐るべきは暴動が起きぬ日本になるときである。つまり、暴動は労働者が搾取を理不尽と感じたときに起きる。が、日本全体が平均して貧しくなった場合、生活できない危機に見舞われても、打倒すべき資本階級が見あたらない。ここに残された道は、滅亡が外征である。

もう一つ、暴動を起こさぬ理由が考えられる。徹底した自己絶対化である。個人主義の行き着く先ではないだろうか。運命に対して自己責任をとる。どれだけ貧しくとも、自己責任。勉強して善行に励み他人に尽くし全力で働いても、派遣会社にピンハネされ、国保を払えず、医者に行けず、病弱し、死のうとも、自己責任。神、社会、国家、いずれのせいでもなく、全ては自己責任。一切の因果応報を超越して自己責任。西欧プロテスタンティズム的の神という機関を経ずして、内面に作用する新しい規律が自己責任なのだろうか。

この自己責任は社会の衰退を招くであろう。因果応報も神の存在も超越するのであるから、死のうが生きようが自己責任。善悪の相対的価値観はなく、自分が悪いと思えば悪い、良いと思えば良い、という、社会を基軸としない思考が罷り通る。そこでは、格差も階級も存在するが暴動は起きない。「自己責任がなんでもありならば、暴動もありではないか?」と諸賢は思われるかも知れない。だが、自己責任はあくまで、全ての責任が自分に依拠するのであるから、搾取する資本階級に対し、その責任を追及し暴動に至るとは考えにくい。ましてや、連帯して行うなど可能性は極めて低い。本書でも出てくるように、残忍な犯罪か、せいぜい池田小学校事件が関の山ではなかろうか。

我々は責任を自分でとるべきか。中国人は必ず他に責任を転嫁する。我々はその姿勢しばし批難する。責任を転嫁するという表現は果たして正しいか? この複雑に絡み合った因果を解いて責任の所在を明らかにすることなど可能なのか? 例えば、寝坊して会社に遅刻するとする。誰の責任だ? 自分のか? 否、夜遅くまで付き合わせた友人の責任か? しっかり起きられる目覚まし時計を開発しない時計会社の責任か? それとも、就業が9時だなどとする社会慣習の責任か? 諸賢はこれらを屁理屈だと考えるだろう。しかし、逆の屁理屈を真に受けて責任を自己で負ってしまっていることがないと言い切れるや? 余は国の失策による不幸まで責任をとるつもりはない。日本に生まれた責任も自己にあるのか? 日本だからまだ良いようなもの、北朝鮮に生まれた責任まで朝鮮人は自分で負わねばならぬのか? 責任の妥当性を見誤ってはならない。就中、乱世に於いては、外へ責任を求めていくべきである。

さて、何を望む? 高い道義心か? それとも国の発展か? 国の発展を考えた場合、上記似ような自己責任は間違いなく国を滅ぼす。さてさて、では、不幸、不満、の責任をどこへ求めるべきや? 日本国か? アメリカか? 中国か? 自国へ責任を求めた場合、内政になる。外へ求めた場合は外交、外征となる。難しいところだ。

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2008.01/13(Sun)

米中経済同盟を知らない日本人 

米中経済同盟を知らない日本人 米中経済同盟を知らない日本人
山崎 養世 (2007/02)
徳間書店
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今後の世界を読み解くヒントが多く記された書。非常に理解しやすく書かれている。中学生でも読める。ただ、そのためか文章が無味乾燥。

グローバル経済とはどういうものなのか。21世紀の中国の役割、日本の斜陽、説明がなされている。

まず、石油やその他原材料の値段が上がっても、物価が上がらなくなったところから物語は始まる。中国が世界の工場になったからだという。原材料の値段上昇分だけ、人件費が抑えられて消費者の物価が変わらぬようになった。インフレが起きなくなったと説く。そのかわり、先進国は総中流から格差社会になる。物価は変わらずとも、貧困層の収入は減少する。

消費と生産は表裏一体である。消費があるから生産が起こり、生産があるから消費が起こる。この自明性が、安いものを求める消費者と、効率性を求める企業、優遇を求める労働者との摩擦の中で失われた。ネオリベと言われる、80年代のサッチャー・レーガンの新自由主義は消費者の利益を優先した。あとはいかに安く作るかの問題となる。

そこで、中国の出番。1992年、中国は安い労働力を外国のために解放し、設備やらなにやらを、自国企業ではなく、外国企業、外国資本に優先して提供した。89年の天安門事件で非民主的だと非難するアメリカに「設け話に乗れ」と言った。アメリカは自国の工場を閉鎖して中国に工場を造る。見事に中国の策は当たって、アメリカに続けとばかりに皆、中国に工場を築いた。

米中戦争が起きない理由を、この持ちつ持たれつの関係ゆえだと著者は言う。逆に言えば、この関係が崩れたときにこそ、米中戦争は起きる。中国にも富はたまる。今や中国の外貨準備金は1兆ドルである(我が国は06年10月で8700億ドル)。中国は人民元が切り上げられたかと言って、ちっとも元高にならない。元が高くなると、安い労働力が失われてしまい、アメリカや先進国が困るからだ。

ここから先が非常に面白い。果たして中国の労働力は高くなるであろうか? おそらく、答は否だ。先進国が極めて貧しくなって、中国の労働力よりも、国内の労働力の方が安くなれば分からない。しかし、中国は10億人もいる。なかなかそうはならない。国内が極めて貧しくなっても生産は中国で行われる。これがグローバル経済だ。だから著者は言う。今後の世界は、国と国との貧富の差ではなく、一国の中での貧富の差であると。

これから各国がやるべきことは安くて良質な労働力を提供することであろう。その点に於いて、中国が富を政府のものにしているのは実に先見の明があると言わざるを得ない。良質な労働力を提供するには、学問というインフラを労働者に与えなければならないからである。おそらくこの構造は人工知能やネオヒューマノイドが跋扈するまで変わらないと思う。

諸賢、日本は大丈夫であろうか? 余は駄目だと思う。この構造に関与することは、相対的剥奪感もふくめて、今の統治形態や現在日本に支配的な思想の下では不可能だ。だから、一足飛びに人工知能やネオヒューマノイドの創造に全力を傾けた方が良いと思う。

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2008.01/04(Fri)

ゴー宣・暫 2 

ゴー宣・暫 2 ゴー宣・暫 2
小林 よしのり (2007/09/28)
小学館
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ゴー宣は回を重ねるにつれて面白くなっている。なぜ、どの辺が面白くなっているのか? 一言で言えば思想が深くなっている。眼光紙背に徹す、と言ったところか。社会の表面を撫でて批判するだけでなく、裏の裏まで考えて批判を行っている。故に識者を批判するスタンスは同じでも、昔のゴー宣は純な視点から批判を行い、最近のゴー宣は純な批判をするもの達を批判する、という風に変わってきている。

99ページでよしりんは「若者自身が、雇用の流動化で自分にもチャンスが巡ってくると勘違いして、小泉や安倍の構造改革を支持してしまい「自己責任」論を正しいと思っているのだ」と言って、小泉を支持した若者を批判する。そして、この認識は本書のみならず、至る所で出てくる。また、よしりん以外でも、こういった認識をもった者は多い。

だが、余はこの分析は間違っていると思う。郵政選挙当時、余は26歳だった。今でこそ、過ちであったと思うが、余も当然小泉自民党を熱烈に支持したのだ。だが、それは、余も余の周りも含めて「雇用の流動化で自分にもチャンスが巡ってくる」と思ったからなどではない。だれも、そんなことは言っていなかったし、考えてもいなかったであろう。小泉自民党を支持して投票した多くの若者が、単に「なんか変わりそうだから」という漠然な理由で支持したに違いない。アイドルを支持するのに非常に似た感覚で支持したのだ。アイドルを支持するに於いて、「これこれこういう理由で自分の利益になりそうだから」という功利的な理由など誰も持っていない。それと、同じで小泉を支持することに対して、自分の利益や後先のことなど誰も考えてはいなかった。「なんとなく格好良くて、なんとなく良さそう」という漠然ではあるが、古今東西人を動かす上で欠かすことの出来ない、いわゆる「愛」で以て小泉を支持したのであろう。そして、人気投票制の政治を続ける限り、この「愛」以外で絶大な支持を受ける政治などはあり得ない。

あばたも笑窪。愛があれば、例え日本の根幹を破壊する政策を胚胎した政治家であろうとも、国士に見えてしまうものよ。現代の政治は結婚詐欺と同じである。結婚詐欺よりかは数等見破りやすいが、みんながみんな絶対に騙されないなどということは不可能なのである。いや、自分のこととして真剣に考えない分、結婚詐欺よりも騙されやすいかも知れない。

そこで、よしりんは騙されない選挙民として、「公民」という思想を持ち出し、政治に左右されぬように、官僚に公心を求めるわけである。

余は両方とも不可能だと思う。世界はネオヒューマノイドか、ロボット統治か、哲人王の統治以外にまともな統治はあり得ないと思う。

とくに、日本は悪くなる要素を内包している。今までがよすぎたのだ。「冬来たれば春遠からじ」というように、「秋来たれば冬遠からじ」であって、平和は永遠には続かない。続けようと思えば、四季を凌駕する何かを持ち出さねばならぬであろう。

オススメ度: レベル4
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2007.12/05(Wed)

スタンダード政治学 

スタンダード政治学 スタンダード政治学
加藤 秀治郎、中村 昭雄 他 (1999/04)
芦書房
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政治学入門として最適だと思う。総論から各論まで、かなり詳しく、また分かりやすく書かれている。著者も自賛するように、度々原典に帰るのが良い味を出している。政治とは何か? という哲学的な問題から出発して、議会、投票、政党、住民運動、等を論じる。

はっきり言って、余は各論はあまり楽しめなかった。各論は地方自治の問題で嫌というほどやっているし、現在の社会情勢は、従来の政策を変える程度の改革では全くよくならないと思うからだ。つまり、議会とか、住民運動とか、投票行動とかでは、未来は切り開けない。

だからこそ、今一度、「政治とは何か」と問い直す異議がある。著者も政治とは何か、という問いに答を出すのは危険だとしている。オープンエンド的な問題ではあるが、放っておいていい問題ではない。我々は世界を良くしなくてはいけない。なんとなれば、時間は勝手に過ぎていき、時間の経過は社会に変化を強いる。政治とは時間の自然経過的影響を人為的に矯正するものではなかろうか。

権力、統治、権威、支配、これらの言葉の定義を過去の思想家の考えなどから行うと、過去の思想家たちがどのような政治を望んでいたのか分かるように出来ている。民主主義と自由主義の章も面白かった。

友人の家に行ったらたまたまこの書があり、ペラペラめくってたらはまった。家に帰ってアマゾンでさっそく購入。版が多く重ねられており、表紙がいろいろ違うようだ。友人の持っている表紙と違ったので、届いたものを見たときは、ちょっと驚いた。


オススメ度: レベル4
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2007.11/25(Sun)

排除型社会―後期近代における犯罪・雇用・差異 

排除型社会―後期近代における犯罪・雇用・差異 排除型社会―後期近代における犯罪・雇用・差異
ジョック・ヤング (2007/03)
洛北出版
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面白そうだな、と思って、アマゾンで買った。届いてみてびっくり。分厚い。541ページもある。内容も濃い。

本書の表題でもある「排除型社会」とはなにか。20世紀初頭から、70年代ぐらいまで続いた「包摂型社会」と対比して名付けられている。イギリスを筆頭に「ゆりかごから墓場まで」のような社会福祉が完備され、国民が国家に手厚く保護されていた高福祉高負担の社会が昨今失われた。今はむしろ、自由主義、市場原理が支配する、金のある人間は高サービスを受けられて、貧乏人は最低の暮らしを強いられるという格差社会になった。

市場原理、能力主義、自由主義、とは何か? 自明性、合理性を追求したものではあるまいか。自明性とは人々のロールプレイ、役割を決めつけることである。一種の階級化である。学歴社会の最終形態のようなものをイメージして欲しい。つまり、いちいち一人一人の能力を吟味するのは非合理的なので、学歴、家柄、見た目、そういったもので人間を判断する。人々の役割が自明であることは合理的であることである。合理的であるということは、一々考える必要がない、自明であるということだ。

別の側面に言及すると、「包摂型社会」は社会的な道徳、規範意識、通念から逸脱する少数者達を自らの内に取り込もうとする社会。すなわち、犯罪者がいれば更正させ、社会に適応させようとする社会。社会から逸脱する少数者は、少数であるが故に、むしろ、社会の統合に寄与していた。しかし、一定以上の豊になった後期近代社会では、選択の可能性が広がった。信念や確実性が疑われるようになった。簡単に言うと、豊になるという国全体の衝動が機能しなくなった。その結果、本書でいうように、「絶対的な価値観が相対的な価値観に包囲されてしまい失われる」という事態になった。

著者であるジョッジ・ヤングはもともと犯罪学者だ。第二章からは、後期近代における犯罪を詳細に述べている。犯罪そのものよりも、犯罪の舞台である社会について、人々が捉える犯罪というものについて分析を加えている。

犯罪と貧富は関係ないという。今現在の、この豊かな時代にこそ犯罪は多発している。例えば、合衆国の殺人率は50年代の倍である。どうして、豊かな時代に犯罪が増えるのか? 相対的剥奪感が要因だという。相対的剥奪感とは、年収1千万円の人間が、年収1億円の人間と自分を比して、感じる剥奪感である。相対的剥奪感の因子は平等のパラドックスである。人々が平等になればなるほど、平等が当たり前になればなるほど、小さな差異が気になって仕方なくなる。昔は、上から下まで様々で不平等が当然であった。当然であるから不満も剥奪感も起こらない。しかし、平等が当然、というイデオロギーを持った社会では、少しの差異で不満や剥奪感が噴出してしまうのだ。これが、平等のパラドックス。努力すれば豊になれるというイデオロギーがさらに拍車をかける。

後期近代の特徴として、多様性と、寛大性というキーワードがある。多様性の性質の変化。寛大性の逆転。説明すると本書をまる写しする羽目になる。

一言で後期近代の問題点を言ってしまえば、資本主義の行き詰まりというところに帰結すると思う。本書ではこう表現されている。「公教育は、子供たちを労働者に仕立て上げるために、『キャリア』や『能力主義』、『成功』という観念を植え付けている」と。まさしく、資本主義の精神が失われた状態で、資本主義的システムに子供たちを縫い込んでいる。その結果が笑えるw
「都会のやる気に溢れた若者たちは数十億ドル規模にまで成長したドラッグ経済に魅了されている。何より、彼らはアメリカンドリームを信じているのだ。成功を追い求める麻薬密売人や犯罪者はアメリカ人の古典的な階級上昇モデルをそのまま実行しているのだ。つまり、リスクを負い、勤勉に働き、幸運を祈っている。勇敢に未知のフロンティアを開拓する。そこは、富と名声、そして、破滅が待ち受けている場所である」
後半部分だけなら、それこそ西部開拓時代のアメリカンドリームだ。日本人にアメリカ人的夢想癖がないのは幸いだ。もっとも、古典的資本主義の精神も神の名の下に原住民を殺しまくる。現代は資本主義の名の下に、箍が外れ、道徳なんか糞くらい、成功したものが勝ち。今も昔も大して変わらんな。大体、自分のことを道徳的だと思っている人間にろくな奴はいない。

そういった犯罪者を取り締まる法の定義がまた面白い。
「法とは金と権力を持つものが、金も権力も持たないものを監視するための装置である。明らかに禁酒法は、熱心な禁酒家たちが酒飲みたちを取り締まるために制定された法律である」
つまり、我々がいい思いをしようと思ったら、努力して禁酒家になる躾を受け、また禁酒家であることを守り続けなければならない。

しかし、逆に言うと後期近代のカオス的状況は、こういったモラルからの脱出とも捉えることが出来る。左右の論壇が、「都市はマニュアル化、均一化された入れ替え可能な空間。個人を否定する場所」と嘆くが、本書の言うとおり「真の個人性は、都市の非人格性という背景があってこそ生じる」のである。今でも田舎とか村落的繋がりの強い地域では、地域における性格が個人の人格を色づけている。無色透明に近い都市だからこそ、本当の個人性が形成される。慧眼なり。

著者は結論として、正しい能力主義が行われていないから、社会の不幸が存在すると言っている。だが、正しい能力主義とは自然の最終形態だ。それ以外に正しい能力主義はなかろう。どうも著者もそれを分かっているらしく、最後の章は些か無理矢理な感が否めない。散々後期近代は救いがない、と論じてきて、この終わりはないだろう。

この社会は知れば知るほど如何ともし難い脱力感を味合わせてくれる。じゃ、社会を捨てれば幸福か? と言われればそうではない。脱力感は人生そのものに湧いているものなのかも知れない。


プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神

現代社会の理論―情報化・消費化社会の現在と未来

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